今日は、大阪物凄い雨です
二男が奈良に遠足の予定だったのですが延期になりました さて、私はずっと岡山にいました。 10月9日おじいちゃんが亡くなりました。 9月に101歳になったばっかりでした。 大往生でした。 8月にお見舞いに行ったときには、私やお弟の子どもたちと、ハイタッチをして遊んだりして、『まだまだ、大丈夫やわ』と言いながら大阪に帰って来たのですが、10月7日に危篤という連絡が入り、岡山に向かう準備をしていたところ、翌日8日意識が回復して会話が出来るようになったからとまた連絡が。 実は母が来月、勤めてる保育園を定年退職で、9日は最後の運動会だったんです。 弟の末娘も年長さんで、9日が保育園生活最後の運動会でみんな参加出来ないことを覚悟していたのですが、おじいちゃん復活の一報を受けて、最後の運動会を満喫出来たんです。 ところが、運動会が終わって家に帰ってほっとした頃、おじいちゃんが亡くなったと連絡が。 まるで、きちんとみんなの最後の運動会が終わるのを待ってくれてたかのようでした。 おじいちゃんが亡くなったのは十三夜の月がきれいな日で、お葬式は満月でした。 実は去年のおばあちゃんのお葬式の時も満月だったんです。 伯母さんたちに、おじいちゃんの時も満月で月がきれいねって話をしていたら、伯母さんが『満月なのも一緒やけど、おばあさんは朝の5:12に亡くなって、おじいさんは夕方の5:12に亡くなってんで』と教えてくれました。 どんだけ仲いいねん 岡山の、おじいちゃんが居る風景が私のパワースポットでした。 伯母さんたちは『もう誰もいなくなってしまったけど、旅館代わりにおじいさんの家を使ってあげて』と言ってくれてるけど、来年の夏あたりに子どもたちと帰った時、きっと誰もいなくなった家に、今よりも寂しく感じるんだろうなと思います。 ポテチが大好きだったおじいちゃん。 いとこが四国に行った時に買ってきてくれたお遍路さんの鈴のおみやげを嬉しそうに自分の杖に付けて歩いていたおじいちゃん。 100歳を超えてから『お迎えが来えへん』とちょっと焦っていたおじいちゃん。 おちゃめなおじいちゃんばかりが思い出されます。 最後の言葉は『ワシが居なくなっても、家族みんなで仲良く暮らしなさいよ』でした。 100歳を超えてから人生で初めての入院。 本当に丈夫なおじいちゃんでした。 今、おじいちゃんは大阪の叔父さんの家にいます。 車に乗ると酔うからと車には一切乗ることがなかったので、旅行もしたことが無かったのですが、亡くなってから大阪見物も出来て、みんなでやっと旅行が出来ておじいちゃんも喜んでるねと話しています。
|