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昔よりは格段にやることが早くなっている。
自動化とデジタル化・アウトソーシング化したことにより仕事の効率化があがり、外に出る手間などが省け始めた。 現実と見つめ直すことにより、ムダに動くことが少なくなり、時間だけを浪費して仕事した気分に浸ることもなくなった。 なのに、不安になったりする。 いくら効率が良くなったからとはいえ、まだまだやることはある。 一体なんのための不安なのか。 近頃不安になるといつもそう思う。 この不安に思っているときと言うのはある一定以上の期間が経つと生産性を失う。 もちろん、なんでも効率というわけにはいかなく、時にはそういう時期を経ないと成長のきっかけにならないことも事実。 しかし不安の大半は自分に対してのいい訳であり、自分の能力以上のことを考えているときでもある。 不安の常に大きい人は、期待も自分の能力以上に大きいが、不安も自分の処理能力以上のことを考える。自分でも昔そうだったからよくわかる。 また、不安は自分に対する言い訳をするときの絶好のテンションでもある。 仕事の効率化・デジタル化には抵抗があった私。 要は年寄りがいうような、「もし地震や戦争が起こってパソコンや機械が使えなくなったら一環の終わりだ!」ということを間に受けていた。 確かにそういうこともあるとは思うが、そんなことを気にしている間にどんどん儲けている起業家はわんさかいる。リスクヘッジとしての想定は必要とはいえ、デジタル化を根本から否定する暇があるならそれを利用して仕事をしろ!と言いたくなる。 カットできるプロセスはカットして、カットできないところに最大限の力を投入する。 それが今少しずつカタチになってきた。 不安とは人間の本能も関わっていることがわかったが、基本的には不安そのものは利益を生まない。私は不安に時間をモロに使うのなら、不安に思いながらひとつひとつ行動する。不安と行動の同時進行をしたほうが、効率は良いに決まっているし、行動して言うと大半の不安はカゼのように気づいたらなくなっていることもしばしば。 さて、5月までに用意しなければいけないものに力を集中するか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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