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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2023.12.08
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今日は開戦記念日。
 三ヶ根にて心静かに参拝に参ります
 朝日等は開戦時には大絶賛していたではないか。それが、敗戦後占領時からはなんだ。
こうした意見は実によくわかる。それがなぜいけない。開戦は29年以来の大恐慌
の結果。米国がモンロー宣言に立ち返りk南北アメリカにアジアから。アジアからの移民は許さない。英仏は植民地ブロック政策。ABCD包囲網にあった日本は生存ができない現状。その国際悪をなした米英を凝らしめるのは日本の生存権。開戦、これを喜び戦争目的たるアジア解放と日本の自存自衛を目指す戦争に協力いや推進に向かうことのどこが悪い。米国にはめられた戦争であろうと勝たねば国家国民が滅亡するしかない。座して死をまつのは個人の自由かもしれないが、家族を見殺しなどするは人道に反し日本人の道に反するではないか。
マスコミが開戦を報じたときほとんどすべての国民は歓喜し戦勝を祈った。マスコミも同様。祖国の勝利をねがった。そのどこが悪いのか。
敗戦後、反戦を唱えていただの政府に騙されただの、戦争賛美の詩人や文学者
を糾弾するなどの主張を扇動して自社の免罪を図るマスコミの姿勢/占領軍迎合姿勢こそ見苦しいと思うのは私のみであろうか。

対米戦や対ソ連戦がいかに立派で正義が日本にあることは多くの日本人が感じるところであろう。
4年間の大東亜戦で疲弊していた日本が終戦に向けた調停を頼んでいた相手はソ連。不可侵条約の締結もぅしこみを受けてソ連の対欧州戦を考慮して締結したいわば武士の情けでの締結。そのソ連が手のひらを返してヤルタ密約を結びなんと原爆投下の直後の昭和20年の8月9日に対日参戦。
満州・樺太に侵攻。終戦の15日を過ぎてから千島や北海道の一部北方4島に侵攻奪取したのでありその後の80万近くの拉致抑留や20万近くの日本人殺戮、いわゆるシベリア抑留。日本人の目の前で起きた非道さは万人の知るところであり、マスコミも自虐意識を日本人に与えることは不可能。
しいて挙げれば被害者数をシベリア抑留者のデータを減らして60万抑留6万死亡説を流すこと、北方領土名称を北方4島に限定し、千島や樺太をいれないことなど。共産ソ連を擁護したくても国民の記憶は消しきれない。
日本人の感性がいかに慈愛に満ちたものであっても道義心は損なわれていない。非道さを許しはしないのだろう。

対米戦は真珠湾奇襲の負い目は当初あったが米国の情報公開が進むにつれて受けとりを拒絶した米国大統領の方針やハワイ部隊を見殺しにした犯罪が暴露され、政府は謝罪と補償をなした事実などさらにチャイナに正規軍を民間人として世界戦前に軍事行動を仕掛けていたじじつ、原爆投下が人体実験でありその実験実施まではポツダム宣言受諾を阻止して日本人の虐殺をなしたことなど戦前戦中占領時の米国の行為は日本人の脳裏から消えることはない。
「安らかにお眠りください。あやまちは二度とくりかえしませんから」の原爆記念館の文字は米軍や大統領の言葉でなく、日本人の意思表明だとされる。ならばすくなくとも「くりかえさせませんから」と正さねばならないだろう。
これほど米国\の主張に迎合する姿勢こそ問題にすべきではないか。

しかし対中戦はなぜに理不尽な歴史観からのがれられず、自虐意識一色になるのか。
全体主義国家では言論の統制が徹底しており学問の自由がなく政府方針が貫徹される。情報の統制管理が徹底しており国外にいても全て発言がチェックされて帰国時には待ち構えた官憲により拘束を受ける、これでは研究者は政府見解からのがfれることはできず亡命するしかない。

いまだこれほど中国人を大切にし、国際法を順守された松井石根大将が処刑されていまだ名誉回復がなされていないのもチャイナ人の研究者に期待などできない。日本人が堂々と事実を確認し政府のや文科省の公認を得られるなど公的な形で主張していくしかなかろう。その意味では南京事件にかかわる学会が阿羅先生や東中野先生他賢明な研究者をそろえて出された成果を文科省が公認していくべきであり、少なくとも自由社などの教科書が検定不合格を受けるなどの愚かさなど起こしてはならないのは当然。文部科学省の検定不合格事件は現政権が再検証して一刻も早くその是正を図るべきであろう。
日本が日本の立場で冷静な歴史解釈をなさねばチャイナの政治判断で寝t具増が歴史とされてしまうのだ。

八十六年前の12月は日中の対峙が最も熾烈を極めた時期である。
1937年の7月には盧溝橋事件でついに日中は武力対決となる。
北京郊外にて関東軍とチャイナ国民党軍が橋を隔てた場所で夜間演習をしていた時にとつぜん発砲事件が起こされた。現地ではチャイナの非道に関東軍は抗議したが、シナ軍にとってもそうした発砲事件を起こしたものなど見つからず、日・チャイナは局地的な対決として片づける合意ができた。
しかし、そのたびに共産党が両軍に発砲、日中の離反を目指す。これを共産軍の仕業とは気づかぬ両軍はついに戦闘状態に突入することになったのだ。
チャイナ共産党が日中戦争の引き金を引いたことを広く知らしめるべきである
蒋介石は三十万兵力をもって上海に迫り、わが軍を殲滅する作戦に出た。わが軍は必死に防戦。援軍を得て南京に迫る。
12月10日、ついに南京総攻撃に。その際、12月9日に中国軍に対し無血開城を勧告した。しかし中国軍が開城勧告に応じなかったために、日本軍は12月10日に総攻撃をかけることとなった。
南京防衛司令官の唐生智は12月12日には現地脱出。よって残された軍は指揮者を失い敗走。壊滅状態となる。
解放間もなく、安定した南京に続々南京市民は集まってきている。平和裏に開城が進んだのは明白。それを三十万虐殺などの無礼な言いがかりをつけ来るチャイナ、話になりません。綱紀粛正を常に部隊にかたられた松井石根閣下が戦犯として処刑されるなど理不尽極まりありません。
名古屋駅西、徒歩五分ほどの地にある椿神明社。ここには大将の碑もあります。リニア駅にかかったためここ数年はこの地での慰霊祭が出来なかった。今年も4月29日に蒲郡の形原ホテルでさらに先月は岡崎の上和田公民館にて松井石根閣下の人徳や顕彰の講演会を開催。来年こそは12月10日前後に名古屋の椿神社にて慰霊顕彰祭を再開したい。今日開戦記念日に遺骨(遺灰)の安置されている殉国七士の墓に詣でて感謝の思いを申し述べてきたい。



12月10日から16日は拉致被害者救済週間
ウィキの記載より
 「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」は、北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民の認識を深めるとともに、国際社会と連携しつつ北朝鮮当局による人権侵害問題の実態を解明し、その抑止を図ることを目的とし、国及び地方公共団体に国民世論の啓発を図る責務があることを定め、国民の間に広く拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題についての関心と認識を深めるため、毎年12月10日から同月16日までの1週間を「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」とし、国及び地方公共団体はその趣旨にふさわしい事業が実施されるよう努めるものとしています。
        引用以上

「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」。国と地方自治体は、この週間の趣旨に適うように、様々な事業を実施する義務が定められている。
県は各市町村役所等にDVD視聴施設の常設や学校現場での視聴の徹底をはからせねばならない。これは決定事項。しかるに近年はほとんどの学校で配布CDを流さなかった、議会でも是非宣言をあげるべきである。
全市を上げて確実にやらせねばなりません。また世界記憶遺産に全資料を整理して登録できるまで努めるべきで在りましょう、
特例でも何でもよいが、国会において武力奪還への行動計画を立てるぐらいの決意を示すべきでしょう。このままでは時間ばかりがいたずらに過ぎ去るのみではないか。


昨日は朝5時半に息子を駅に送りながら三ヶ根に走る。
まずは石柱近くの竹林の入り口部分の整備と下道つくりをなす。ここは最終的には七士廟の入り口にふさわしい花壇にしたいが今は廃棄された枯木や古竹の集積場所でもあり雑木が放置されている状態。まずは雑木を選定し廃棄竹の撤去をなし、明るくして置いた。隣地の笹藪も切り広げて広場にしたので先日の慰霊祭にいらっしゃった皆さんの駐車場としても初めて使用。10台ほどが使っていただけた。ササを取り去った直後は腐葉土のつもる柔らかい地面で雨が降ればぬかるみ、車がスリップしてはまり込んでしまっていたが、今は車が土を固めてくれて十分駐車が可能となってきている。新たにみつかった石垣部分も草取りを進めてきたので立派になり、その上も芝桜を植えて見栄えよくしたので春には花が咲くでしょうしハイキングや慰霊に訪れてくださる方には心地よき場所になることでしょう。
 次いでさつき園の下方に歩道を作る作業。遊歩道とまではいかないが、さつきの下方に植えてあるアジサイ林が鑑賞できるように、また下草狩り作業がしやすいようにするための道作り。
最下部のコンクリート板の塀を下端として幅50センチほどの道を作り固める作業と、斜面部中腹の通路。
作業中に友が差し入れを持って手伝いに来てくれた。本当にありがたい。
ひと段落して花壇を見回る。花壇入り口の赤いベンチ近くにはNさんがさしいれてれた丸太のベンチを置いて」休憩場所にしたが、そこから眺めると見事な紅葉が目に入る。
ああ、絶景。三ヶ根はアジサイがよく似合うが、この季節には素晴らしき紅葉があるのに気付いた。
そう4月には芝桜。チューリップ。パンジーなどが花をつける。いつ来ても情緒あふれる色やにおい。
 十数年前までは軍歴のあるかたやそのご遺族の方や関係者の方が多くお見えになっていたが、年とともに訪れる方の層が異なり、ネットなどにより国民意識の変化が進み、冷静に戦争原因をとらえたりする若者が増えてきた。三ヶ根山殉国七士廟の存在が広く日本中に広まり、東京軍事裁判がいかに非道な復讐劇であったか、原爆投下殺戮実験が終わるまで終戦をさせまいとする米国の意図によっていた不幸な戦後が始まり、挙句に南樺太や千島列島、北海道の一部北方4島までロシアに奪われる悲劇を味わったことなどを国民が知ることになり、三ヶ根に眠る英霊の皆さんに手を合わせに見える方々が多くなってきた。こうした方々に、地元三河人としておもてなしをなさねばならない。
以前から殉国七士廟は奉賛会の皆さんの手によって真摯に感謝の念をもって整備され続けてきていた。
しかしその周辺部は自然に任せていた。放置に近かった林野を花壇にし始めたのは10年ほど前だったろうか。
5年ほど前から本格的に整備をしようとの友の声を受け応援のもと三ヶ根を安らぎの聖地として花壇整備を本格化して、2年前からは観光的にも活性化のおt月台をすることになり会を立ち上げた。まだまだ資金不足で植える花すら購入する資金がなく大変ではあるが何とかボランテイア仲間を募ってここまで来られた。
今日は9時ころ三ヶ根に行く
今日の風の吹き方がうらめしい。間断なく吹き荒れてせっかくの紅葉が風によりどんどんとばされ続けてしまうのだ。これを一人で見ねばならぬとは。実にもったいいことだ。
三ヶ根さつき園下側通路を完成。大変な土木工事であるが上のさつき園から見るとほとんど見えないのが残念だ。
中途の道も一本完成。これで斜面の下草祓いも安全にできそうである。

NTTスペースの花壇化もチャレンジ。ここにバラを数本うえてみたい。まずは花壇らしくしておきたい。
作業中にメールを見ると建国がらみの作業が。中途であったが帰宅して対応。





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Last updated  2023.12.08 10:35:33
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