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昭和の日奉祝講演会のお知らせ
日時 令和6年4月29日(月・祝日) 午後 4時開場 4時20分開会 場所 愛知県蒲郡市金平町関戸38番地 0533-65-7449 蒲郡ホテル形原別館 形原リゾート(三ヶ根山 形原方面料金所出口すぐ左折下山すぐ) 主催 「昭和の日」奉祝祭実行委員会 委員長 伊藤幸男 名経大名誉教授 連絡 090・8554・0817(杉田) 参加費 講演会のみ 1000円 講演会+食事会 3000円 内容 ①記念式典 4時20分~4時30分 式次第 開会の言葉 国民儀礼 国歌斉唱 来賓挨拶 万歳三唱 ⓶記念講演 4時半より6時 講師 有働先生 演題 「昭和の精神~昭和百年を迎えるにあたって」(仮題) ③ 食事会 食事中 意見発表 6 時30分から7時30分 4月28日、日本再起独立の日、4月29日昭和の日を迎えます 今年は昭和99年来年はいよいよ昭和100年の年に当たります。 「昭和」の時代の国家目標は「百姓昭明 万邦協和」の文字通り、すべての国民が明るく幸せになり世界の平和を目指すことにありました 道義国家実現を目指す国民の願いやその精神を最も深く体現為された昭和天皇の並々ならぬ祈りやご尽力により我が国は奇跡の復興を成し遂げました。アジアは被植民地時代からかろうじて脱出。植民地主義を一掃した実績は人類史上大きく輝く成果といってもよいかと思います 昭和天皇のご聖徳をふりかえり、日本を見直そうではないですか。 さて昭和の日がいよいよ間近に迫る。 ご参加くださる方は09085540817ないしファックスで0564 518966までおしらせくだされば幸いです。 中学教科書採択。問題はほんの歴史をどう教えていく教科書にするのか。どのような歴史を子供らに伝えていこうとするのか。日本の教科書は国定ではないので教科書会社の考え方で表記にも黄な違いが出るし、市町村の教育委員会での決定でその使用教科書が決まるのだから教育委員会の委員の見識が大きく作用する。まっとうな国家になるにはどうした教科書を使うべきか。教育委員にはしっかり検討してもらいたいものであります。 台湾がこれほど素晴らしき国家になったのは国民党時代の歴史教科書を是正し、日本統治時代の歴史のページを新たに設けて正確な歴史を教えることができる様になったのが理由 といえそうだ。しかも国定。自由や民主主義の大切さを教えることができる様になった。 さて日本。何度も採択をしてきたが三河では東京書籍で動かず。支配被支配の関係で歴史を見る傾向は是正されずにいるとみざるをえない。占領史観から脱しきれずにいる。無論子供らに与える教科書は立派な日本人に育つか否かで判断しなくてはならない。米国制の教育基本法はすでに廃され改正教育基本法が日本人の手で作られた。おおらかな古代の神話教育も教えねばならぬことにった。歴史を日本人の手にり戻すべく、法はあらためられた。しかしの法にのっとった教科書がさいたくされずにいる。チャイナや朝鮮などの主張を基に謳歌署は繰られねばならぬとの「隣国条項」が外せないため。 台湾がチャイナ史観教科書で学ばせた際にはかかる親日的客観的な教育がされず蒋介石賛美の青年が育つていた如く反日青年が大量に育ってしまったのは理の当然。教科書是正に踏み切るのは当然の責務です。 この取り組みは政争の具にしてはならない。将来の日本を支える子供たちに何を残していくかを真摯に討議して決めるべきもの。振り返って歴史の根幹にあるべきは悠久。時代に流されずこの国の歴史をじっと見守られてくださる皇室に学ばねばとおもう。 政治に最も遠き皇室とりわけ皇后陛下の示されたお考えこそが気高き基本ではあるまいか。 これからの若き子供たちに、よき本を、教科書を与えることが如何に大切か上皇后陛下がお示しになられたご文章を改めて読み返した。 第26回IBBYニューデリー大会(1998年)基調講演にてビデオ参加され、子供の本を通しての平和―子供時代の読書の思い出―と題して語られた有名なお話であります。 子供達が,自分の中に,しっかりとした根を持つために 子供達が,喜びと想像の強い翼を持つために 子供達が,痛みを伴う愛を知るために そして,子供達が人生の複雑さに耐え,それぞれに与えられた人生を受け入れて生き,やがて一人一人,私共全てのふるさとであるこの地球で,平和の道具となっていくために。 この願いを神話を語り、弟橘姫の「建と任務を分かち合うような」愛と犠牲の精神の深さを語られるのです。 能登震災において上皇陛下が国民のあるべき「ををしさ」をお示しになり、この国難の時に、今上陛下皇后陛下が真っ先に、そしてもっとも純粋に、行動に移されている。被災地に行かれ、お姿で国民にお示しになっておられる。先に上皇后陛下が子供たちの『真の心の豊かさ』をお求めになられた。この感性はどこから生まれるのか。それは国と国民に対する絶対の愛であり、確信なのでしょう。そしてその思いは永年の皇室の理念と歴史の継承とにより両陛下の日常となったものでしょう。子どもたちへの歴史の継承も同様に歴史に対する敬愛の目を持っていかせねばならないものだと思います。 上皇后陛下のお言葉は実に示唆に富んでいます。 以下御文章を引用 教科書以外にほとんど読む本のなかったこの時代に,たまに父が東京から持ってきてくれる本は,どんなに嬉しかったか。冊数が少ないので,惜しみ惜しみ読みました。そのような中の1冊に,今,題を覚えていないのですが,子供のために書かれた日本の神話伝説の本がありました。日本の歴史の曙のようなこの時代を物語る神話や伝説は,どちらも8世紀に記された2冊の本,古事記と日本書紀に記されていますから,恐らくはそうした本から,子供向けに再話されたものだったのでしょう。 父がどのような気持ちからその本を選んだのか,寡黙な父から,その時も,その後もきいたことはありません。しかしこれは,今考えると,本当によい贈り物であったと思います。なぜなら,それから間もなく戦争が終わり,米軍の占領下に置かれた日本では,教育の方針が大巾に変わり,その後は歴史教育の中から,神話や伝説は全く削除されてしまったからです。 私は,自分が子供であったためか,民族の子供時代のようなこの太古の物語を,大変面白く読みました。今思うのですが,一国の神話や伝説は,正確な史実ではないかもしれませんが,不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えると,それぞれの国や地域の人々が,どのような自然観や生死観を持っていたか,何を尊び,何を恐れたか,どのような想像力を持っていたか等が,うっすらとですが感じられます。 父がくれた神話伝説の本は,私に,個々の家族以外にも,民族の共通の祖先があることを教えたという意味で,私に一つの根っこのようなものを与えてくれました。本というものは,時に子供に安定の根を与え,時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもののようです。もっとも,この時の根っこは,かすかに自分の帰属を知ったという程のもので,それ以後,これが自己確立という大きな根に少しずつ育っていく上の,ほんの第一段階に過ぎないものではあったのですが。 (略)父のくれた古代の物語の中で,一つ忘れられない話がありました。 年代の確定出来ない,6世紀以前の一人の皇子の物語です。倭建御子(やまとたけるのみこ)と呼ばれるこの皇子は,父天皇の命を受け,遠隔の反乱の地に赴いては,これを平定して凱旋するのですが,あたかもその皇子の力を恐れているかのように,天皇は新たな任務を命じ,皇子に平穏な休息を与えません。悲しい心を抱き,皇子は結局はこれが最後となる遠征に出かけます。途中,海が荒れ,皇子の船は航路を閉ざされます。この時,付き添っていた后,弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は,自分が海に入り海神のいかりを鎮めるので,皇子はその使命を遂行し覆奏してほしい,と云い入水し,皇子の船を目的地に向かわせます。この時,弟橘は,美しい別れの歌を歌います。 さねさし相武(さがむ)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも このしばらく前,建(たける)と弟橘(おとたちばな)とは,広い枯れ野を通っていた時に,敵の謀(はかりごと)に会って草に火を放たれ,燃える火に追われて逃げまどい,九死に一生を得たのでした。弟橘の歌は,「あの時,燃えさかる火の中で,私の安否を気遣って下さった君よ」という,危急の折に皇子の示した,優しい庇護の気遣いに対する感謝の気持を歌ったものです。 悲しい「いけにえ」の物語は,それまでも幾つかは知っていました。しかし,この物語の犠牲は,少し違っていました。弟橘の言動には,何と表現したらよいか,建と任務を分かち合うような,どこか意志的なものが感じられ,弟橘の歌は――私は今,それが子供向けに現代語に直されていたのか,原文のまま解説が付されていたのか思い出すことが出来ないのですが――あまりにも美しいものに思われました。「いけにえ」という酷(むご)い運命を,進んで自らに受け入れながら,恐らくはこれまでの人生で,最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに,感銘という以上に,強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも,愛と犠牲という二つのものが,私の中で最も近いものとして,むしろ一つのものとして感じられた,不思議な経験であったと思います。 この物語は,その美しさの故に私を深くひきつけましたが,同時に,説明のつかない不安感で威圧するものでもありました。 古代ではない現代に,海を静めるためや,洪水を防ぐために,一人の人間の生命が求められるとは,まず考えられないことです。ですから,人身御供(ひとみごくう)というそのことを,私が恐れるはずはありません。しかし,弟橘の物語には,何かもっと現代にも通じる象徴性があるように感じられ,そのことが私を息苦しくさせていました。今思うと,それは愛というものが,時として過酷な形をとるものなのかも知れないという,やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への,恐れであり,畏怖(いふ)であったように思います。 引用以上 教科書の採択に当たって、この日本人が守ってきた「神話」が、ロマンが、豊かに表されている教科書であるか否かを教育委員の先生方によくみていただきたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.04.19 09:46:51
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