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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2024.04.30
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カテゴリ:カテゴリ未分類
4月28日、日本再起独立の日、4月29日昭和の日を迎えた。
今年は昭和99年。昭和100年が来年である。
 昭和100年の歴史を大胆に語りなおす歴史総括がおそらく多くのマスコミや出版社などから出されることであろう。
僕らの生きている時代がどのように語られるであろうか大いに興味深い。
 令和の御代の開始とともに左から打ち出された昭和天皇批判。その最前線が経済力の抜きんでた愛知から起きた。愛知県知事の強い要請により芸術の名において成されたトリエンナーレ事件。昭和天皇のご真影に火を放ち足で踏みつける映像を「芸術」として県税を使って県民に提示。それに対して沸き起こった日本初の知事リコール運動。しかし知事とつながるT氏がリコール運動の事務局長に入り込みリコール推進派たるべき日本最大の民間保守団体の愛知県トップは知事後援会の会長を務める方。このN団体は動けずリコール運動は大敗北。先週の地裁にてT氏の成したリコール運動を貶める偽署名作成の罪が認定されて懲役4年が確定。犯行の意図がリコール推進の要人の歓心を買い自分の選挙資金の獲得を目指したものと認定もされた。
 このトリエンナーレ事件によりまっとうな愛国諸団体は大混乱を受ける。
 その中で僕らが気づき推進したのが昭和天皇の偉大さを知りなおす「昭和の日」奉祝祭。2年前の事。つまり今年が第3回目の実施である。
 わが国がいつまでも精神的空洞化の中にあっては日本の将来はない。
「昭和」の時代の国家目標は「百姓昭明 万邦協和」の文字通り、すべての国民が明るく幸せになり世界の平和を目指すこと。その精神を最も深く体現為さった昭和天皇、道義国家実現を目指す国民の願いを生きた時代でもあった。戦前はつらく厳しい時代でもありましたが植民地主義を一掃した実績は人類史上大きく輝く成果といってもよい。
しかし敗戦の重みはとてつもなく大きく、いまだ「南京虐殺」をなした国家だとチャイナにののしられ続ける日本。捏造歴史から脱却できない現状はなんとかしなくてはなりません。
 昨年の第2回の昭和の日奉祝祭では南京虐殺などはなかったと実証されて見える阿羅先生をお迎えして講演会を開催、
 今年も松井石根大将の下で通信兵として活躍され南京入場もなされたご尊父を持たれる豊田市ご在住の吉川勝文氏によるご講話をいただき歴史回復是正の一助とさせていただいた。
更には記念講演として國學院大學講師で故薬師寺管長の高田好胤師の最後の弟子有働智奘先生に講演をいただく。
演題は「自然と共存の日本」 
昭和天皇と南方熊楠先生とのご関係、明治政府による神社統合政策批判を大いに語っていただいた。
会場すぐ近くの三ヶ根山には沖縄以外で最多の慰霊顕彰碑があるところです。東条英機大将(総理)・松井石根大将・土肥原賢二大将・広田弘毅総理・板垣征四郎大将・木村兵太郎大将・・武藤章中将の殉国七士のお墓もあります。頭文字をとって「とまどひいきむ」の七士として私はお名前だけでも覚えようと提案させていただいております。
その慰霊祭は午後2時から山頂の殉国七士廟にて開催され、ここにも参加していただく事を目指しての開催でした。
 
講演後には食事座談会。こちらは夜も遅くなましたが30数名余のご参加。30名分しか夜食を用意したのですが食事も足りなくなり私も含め数名のスタッフ分が不足するほど。実に熱く議論が進む。。
台湾震災激励の世背w我喜屋救済金募金も行うことが出来た。

 ご参加くださった方、ご支援くださった方、本当にありがとうございました。

昭和54年5月27日((海軍記念日)豊田市での植樹祭の前日、昭和陛下は植樹祭会場から遠いこの西尾市の「グリーンホテル三ヶ根にお泊りになり、早朝墓の方向に向かって直立佇立され、20分以上正対され、「卿たちはここに眠っていたか」と呟かれたと伝わります。
同年112月8日に美智子上皇后陛下他皇族の皆様も同室におとまりになられたのです。
その記念の碑やさざれ石もグリーンホテル((現在はヒルズホテル)前に建立されています。むろん七士は我が国の国会にて社会党を含む全会一致の決議で「戦犯は存在せず」とけつぎされ処刑された7名は「公務死」とされ他の「BC級戦犯」として処刑された方々と共に「昭和殉難者」とお呼びすることになった。当然罪人ではなく国から遺族年金もだされたのです。
七士廟の入り口の巨大な石門には建立者の岸信介総理の名が刻まれています
私どももこの聖地に隣接する土地に広大な花壇を作製していますのでぜひご覧くだされば幸いです、





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Last updated  2024.04.30 07:13:37
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