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淳国七士慰霊祭をおもう。
皆さんのおかげで慰霊祭も例年以上の参列者をお迎えできたようにおもう。ありがたきことです。微力ながら七士廟の周辺整備に関わって来ることが来たことを嬉しくおもう。 慰霊祭終了後には昭和天皇祭の実施。午後ィ20分より。三ヶ根慰霊祭が終わった一時間20分後の開催とした。スカイライン出口すぐの蒲郡ホテル形原別館のパーテイ会場にて。昭和天皇のご聖徳に触れなおして日本を考える集いである。 多くの方が慰霊祭に参加なさり、90を越える部隊碑の参拝を頂ける時間をとってからの開催でいます。 このスタイルでの開催は今年で3回目。愛知県知事がおこした税金を使っての昭和天皇非礼展示に抗議して集った仲間の発意で実行委員会を立ち上げ昭和天皇のご聖徳を広く県民に知らしめるための開催です。 テーマはそれ以外に昭和の歴史を日本人の立場から是正を図ることにあります。 大東亜戦と言えばすぐに「侵略国家日本」などと思う人はほとんどいなくなっては来ましたが軍人がいかに立派であった窯で語る人はまだまだ少数です。 「陸軍中将安達二十三(あだちはたぞう)第十八軍司令官はあらゆる部下の今後の生活のために尽力され、自らも終身刑を受けながら、証言台にしばしば立たれました。ラバウルの地で全ての裁判が終わった昭和二十二年九月十日、それまで隠し持っていた錆びたナイフで自ら割腹自決されたのであります。 厳格で細心、信と愛を貫かれて殉じられました。困難に当たっては率先して苦難に立ち向かわれ部下からの篤い信頼のもとに、苦悩の日々を過ごしてこられたのです。 上官に宛てられた遺書には『小官の不敏能くその使命を全うし得ず:作戦三歳の間に十万に及ぶ青春有為なる陛下の赤子を喪ひ、而して其の大部は栄養失調に基因する戦病死なることに想到する時、御上に対し奉り何とお詫びの言葉も無之候。::疲労の極に達せる将兵に対し更に人として堪え得る限度を遥かに超越せる克艱敢闘を要求致候。之に対し黙黙之を遂行し力つきて花吹雪の如く散り行く若き将兵を眺むる時君国のためとは申しながら其断腸の思いは唯神のみぞ知ると存じ候。』」 部下思いの立派な軍人がほとんど下が、それが県民につたわっていない、 先人を顕彰するための資料つくりや整理を進めたいものです。 昨日は昭和天皇のおいのちを一野がも長くせよ、 「国民が忙しくする年末や正月を外すようにせよ」との命令を受け祈り続けて1月7 日までお伸ばし申し上げたのが幸田町の「山蔭神道貴嶺宮」様と聞いておりますが、久しぶりに参拝にいき「昭和の日」奉祝祭の資料とどけにいく。なおこの神社には「中正神社」(蒋介石をまつる神社)も建立されており敵国だったとはいえ、大陸の日本人を速やかに帰国の途につかせてくれた功績はありがたいこと 祭礼は四月五日。 月例の祭りは毎月5日 きょうも主要神社に御礼の参拝に出かけるつもりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.02 09:20:42
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