カテゴリ:おそうじえっせい
きっかけは、ある本の中の一節。
少し長いけど引用します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 直接生産や金に結びついていないように見えるものは「雑事」とか「雑用」とか「野暮用」とかと呼ばれる。 家事全般がそうだ。 それは「できることなら無しですませたい」厄介ごとであり、それに携わることは一種の無駄だと見なされ、それに携わる者は損でもしたように感じながら、「こうしちゃいられない」と嘆くだろう。 掃除、洗濯どこか今では、家族と暮らすことさえ「雑用」と見られかねない。 (略) しかし、人生とはそもそもこうした雑事の集積のことではなかったのか。 (「スロー・イズ・ビューティフル」平凡社 109頁より) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 目がさめるような、衝撃的な文章でした。 だって私にとって、お掃除や炊事やお弁当作りなどの家事は、ずっと「雑用」で「厄介ごと」だったから。 家事というお仕事には、全く敬意をはらってこなかった。 でも、それらのお仕事がほんとうに「雑用」であるのなら… 日々の子育ても暮らしも、すべて「雑用」にすぎないではないか。 だったら私の人生っていったい…!!? 自分自身の中にそれまで確固としてあった「価値あるもの:価値ないもの」という信念に大逆転?が起こった瞬間でした。 (そのへんのことは、以前日記で「聖なるお仕事・俗なるお仕事」として書きました) 以降、家事全般は、自分の生き方の根幹にかかわるものとして、見返りを求めず敬意を持って取り組んでみようという気になってきました。 しかし、ものの見方が変わったからといって、日々の行動がすぐに変えられるわけではありません。 なにせ、何十年も慣れ親しんできた超ズボラ行動パターンでありますゆえ。 お掃除を軽蔑しきっていた私が、お掃除という行為に敬意を払い、ちゃんと取り組めるようになるまでに、なんと2年ほどの年月がかかっているのです(まさにスローライフ?ですな)。 そして、いまだ未完成のまま現在進行中。 今でも油断していると、つい「掃除なんてツマンナイ仕事なんだから、さぼっちゃえよ」という甘いささやきに負けてしまいます(とほほ…しかもけっこう頻繁に負けてます)。 本日も早速その甘いささやきに負け、完全にお掃除をさぼって熱がある娘と共に雪だるま作りに精進してしまいました! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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