カテゴリ:おそうじえっせい
先日、大々的に悪霊退散したおかげで、朝のぷちお掃除がすこぶるラクです!
テーブルや棚の上のごちゃごちゃが少ない分、平面を復元するのが容易。 ↓片付け前 ↓片付け後 ところで、先日外で遊んでいた娘が、5分もしないうちに家に帰ってきた。 「泥で靴が汚れちゃうから、もう遊ばなくいいや」 とのこと。 私「ええ!なんで!?汚れてもいいから思いっきり遊んでおいでよ」 娘「だって、靴がどろどろになっちゃうよ」 私「汚れたら洗えばいいじゃん。靴は汚れるためにあるんだよ」 この小さなやりとりが、とても印象に残った。 「汚さないために活動は控えよう」 というメッセージを、もし私が日々娘に与えているのだとしたら、これは大問題だ。と、大いに反省。 生きることは汚れることだ。 汚れる痕跡がないとしたら、それは「生きていない」ということだ。 汚れることがいけないのではない。 汚れたら、きれいにお掃除すればよいだけのこと。 うちのリビングも他の部屋も、とにかくいちいち散らかるし汚れる。 でも、それは生きている証拠。当然のこと。 私たち家族は、汚さないために生きているんじゃない。 汚してもきれいにする力があるってことが、生きているってことなんじゃないかな。 ということは、生きる力とは汚す力でもなり、同時にそれを掃除する力でもある。 (人間の体だって、そんなふうに出来ていると思う) 同じようなことは、他にもよくある。 傷つくのが怖いから自分の殻に閉じこもってしまったり 失敗するのが怖いから行動するのを控えたり 批判されるのがいやだから発言を控えたり… でも、本当に生きるってことは、傷ついたり失敗したり批判もされるってことなんだと思う。それらを避けて安全に生きていく人生って、つまんなくない? と娘に言うと、「う~ん、でも、傷つくのはやだな」との返答。 まあ、そりゃそうだね。 でもさ、傷つくことも失敗もなく、誰からも批判されない安全な場所って、唯一それは「お墓の中」じゃないかな。(ちょっと飛躍しすぎ?) どんなに傷ついても汚れても、自分にはそれを修復する力があるってことを信じて発揮していきたい。 「ママの清掃生活って、そういう意味なのさっ!」 とエラソーに言うと、横でやりとりをきいていた息子がひとこと 「へ~」 と言いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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