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「メタボラ」は朝刊の連載小説(桐野夏生)。 「悪人」は夕刊の連載小説(吉田修一)。 毎日律儀に読んでいるわけではないが、気が向いたときに読んでいたら、なぜかやめられなくなった。 不思議なことに、朝刊の「メタボラ」も夕刊の「悪人」も、なんだか雰囲気がよく似ている。 どちらにも、しがない若い男が出てくる。 働いても働いても裕福になれないワーキングプア。 努力しても先が見えない、どうしようもない無力感にさいなまれている男が主人公。 そしてどちらにも、どうしようもない親を持つ子ども、どうしようもない子どもを持つ親、が登場する。 今日、出張からくたくたになって帰ったところで、ふと手にとった夕刊に載っていた「悪人」を読んで、不覚にも涙。 世間から「どうしようもない女」と後ろ指さされた娘、非業の死を遂げたその娘の霊と再会する父親。 生きている間に交わることが決してなかった魂が、娘の死後、はじめて交流するさまは、本当にせつない情景だ。 どうしようもない人々(私もそのうちの一人だ)、でもかけがえのない人々を描いた、こんなお話が私は好きだ。 それはきっと私が、「どうしようもない父親」を亡くしたあとで、そのかけがえのなさにはじめて気づいたおろかな娘だからだ。 どんなに自分が愛されていたかにはじめて気づいたのは、父を亡くして十年もたったときのことだ。 今、自己流にしつらえた仏壇で、毎朝父とお話している。 こんなふうに魂で会話できる日が来るなんて、信じられなかったのだが。 そんなこともあって、どうしようもなくせつない親や子らが登場する「メタボラ」と「悪人」に、きっと心惹かれるのだろうな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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