カテゴリ:本
この本(「死を想う」)のもうひとつおもしろいところは、現在親の介護をしている伊藤比呂美さんの関心どころ=老いと病、介護、死、について、石牟礼さんにかなりしつこく聞いているところだ。
たとえば伊藤さんは、 「昔って、野良仕事もできなくなった年寄りとか寝たきりの年寄りとかがいたはず。その人たちは、その時代はどうしていたの?」 ということを、石牟礼さんにしきりにきいている。 石牟礼さんは、「昔はそんなお年寄りにもちゃんと役割があった」とおっしゃる。 体がまだ動くお年寄りは草むしりしたり家の綻びを繕ったり、動けなくなったら遊ぶ子どもたちのそばにいて見守っていたり、昔のことを良く知っている智慧の宝庫として頼りにされたり。 お年寄りが、地域の人々からもそれなりにリスペクトされる存在であったことが、なんとなくわかる。 この良い伝統を、私たちは完全に失なったと思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤 :じゃあ、(お年寄りが)元気じゃなくなったら、どうなったんでしょう。 石牟礼:(略)元気がなくなっても、そのころはたいがい「生きることは、この世に用があって生きている」という感じを持っていた。小さな仕事でも、この世に用がある。用を足していたと思います。(p48) ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「この世に用があって生きている」 この言葉の深さを、しばし味わっていました。 どんな人も(命あるすべてのものが)、きっとこの世に用があって生きているのよね。 「用なし」の存在なんて、きっといない。 石牟礼道子さんの魅力が、このひとことに凝縮されているような気がしました。 「あやとりの記」をはじめ、石牟礼作品にしばらくはまってみようと思います。 (また楽しみができちゃったな~♪) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.05.24 16:19:09
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