カテゴリ:本
ここのことろ、ひさしぶりに内田樹さんの本を読んでいる。
立て続けに読んでいる。 ブログもときどきまとめ読みしているのだが、最近たまたま読んだ「下流志向」~学ばない子どもたち、働かない若者たち~ は、とんでもなくおもしろかった。 目からうろこというか、背中から冷や汗というか、わが身とわが子育てを振り返ってみても、大変恐ろしい内容である。 ずいぶん売れた本のようだが、その内容については私は一切知らなかったので衝撃であった。 その件についてはまた別の機会に書くとして、今回書きたかったのはその内田さんがご自身のブログにお書きになった別の文章である。 村上春樹がエルサレムで行ったスピーチについての「解説」なのだが…。 そ、そこまで読みますか、内田先生。 深いです、深すぎてよくわからないけどなんだか心に残る。 あのスピーチにおける「壁」を政治的な暴力装置、「卵」をその犠牲者という見方(まあこれは一般的な見方ですよね)にとどまらず、「壁」とは「記号」のことなのではないか、と。 (記号=言葉にされ、類別され、十把一絡にカテゴライズされたレッテルか) 「言葉にできる」というのは理解され、共有されるということであり、それは「かけがえのなさ」uniquenesse 「代替不可能性」irreplaceablity という「いのち」の定義に悖(もと)る。 言葉にすることができないものが、私たちひとりひとりの「命」soul をかたちづくっている。 ひゃ~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.24 12:34:32
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