カテゴリ:せいなるくらし
母が亡くなって一ヶ月がたつ。 写真を見る度に胸がズキンとくる痛みも、時折吹き荒れる悔いの気持ちも、ずいぶん凪いできた。 写真の中の母は、はじけるばかりの笑顔だ。 今は、前より少しおだやかな気持ちで見ることができる。 郷里に帰った時、時間をとって私が通っていた幼稚園のカトリック教会に足を運んだ。 ここに通っていたのは、なんともう50年以上前のことだ。 今回わざわざ行ってみようと思ったのは、この教会の慣れ親しんだイエス様に母のことを報告したかったから。 幼稚園の時はもちろん、小学生のとき、中学生のとき、両親が不仲でつらかったとき、教会は心のよりどころだった。 幼稚園を出てからは、教会に入る勇気がなくて、外からじーっと見ていた。 私はクリスチャンではなかったけど、クリスチャンに憧れていた。 イエス様にお祈りするような人になりたかったのだ。 家には仏壇があるし、私は仏教のほうに親しい。 でも心の故郷に、あの教会がある。 さて50余年以上前とかわらない姿でイエス様はそこにいらした。 母のことを報告した。 母と私とのことも。 良い時間だった。 教会で開いておいてあった聖書を読んだ。 「ものを与える人がさいわいなのだ」と書いてあった。 50歳をすぎて、長年ともに暮らした母が亡くなり、子どもももう少しで手が離れる時期にさしかかり、なんだかうろうろと迷っている。 あんなに自由な時間がほしい、やりたいことがやれてない、と不満だらけだった私が、今、 「やりたいことって、なんだったけ?」 「時間があるんだけど、なにすればいいんだっけ?」 状態なのだ。 人生って味わい深いもんだなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.09.10 17:34:31
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