571742 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

線路脇のカメラマンのブログ

線路脇のカメラマンのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Calendar

Profile

線路脇のカメラマン

線路脇のカメラマン

Comments

オジン0523@ Re:生田緑地のD51(09/26) 奇麗に保存されていますね。 このようなも…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:富山の路面電車(2)(10/09) 風旅記さんへ こんにちは、伊豆と北陸は反…
風旅記@ Re:富山の路面電車(2)(10/09) こんにちは。 富山の路面電車、乗っていて…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:E261系サフィール踊り子車内(04/22) 株式会社JCPLAN 坂本さんへ 返事が遅くな…
aki@ Re:ライドシェア(01/18) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

Archives

Recent Posts

2021/11/09
XML
カテゴリ:史跡めぐり

●松崎花の三聖苑

下田から松崎に入ると道の駅「花の三聖苑松崎」がある。












ここには郷土出身の三聖人を紹介する施設で、休憩を含めて松崎の歴史を知ることができる。




この三聖人とは、幕末の漢学者である土屋三余、明治期の実業家として名を馳せた依田佐二平、その弟で北海道十勝平野の開拓者である依田勉三という、幕末から明治期にかけて活躍した松崎出身の3人の偉人たちのことだ。






















この「大沢学舎」は明治6年に依田佐二平が資材を投じて開校した公立小学校。







明治の卒業証書には〇〇の長男などと続柄まで書いてあった。



また、明治5年に官営製糸工場として開設された群馬の富岡製糸場(世界遺産)へ、自分の一族から女工として6名を派遣し、製糸技術を習わせ3年後に一行が帰郷するのを待って、佐二平は松崎村に水車を動力とした冨岡式木製製糸機械を設置し、生糸の試作を開始した。











 後に、この工場を大沢村の自宅(元・大沢温泉ホテル)内に移転し、本格的製糸業を営むに至った。






 これは静岡県下の民営製糸工場としては第1号であった。
 ここにも世界遺産に匹敵する場所があった。




弟の依田勉三も凄い人だ。








明治14年に北海道の開拓に出向き帯広地区の開拓を始め田畑は勿論、牧場や木工場、バター、缶詰工場なども作り十勝開拓の父となった。




お菓子の六花亭が作る「マルセイバターサンド」やモナカ「ひとつ鍋」が製品化されている。
また、今は廃線となったが広尾線の「依田駅」も死後につけられた駅名だ。




2002年には「新しい風」と題した映画が製作された。




下田の「下田高校」の前身である「豆陽学校」も彼の功績である。




ここは花時計だったが現在は時計の針が無い。








裏には「パワースポット」と書いてある山神社があったので行ってみた。



那賀川のそばにある子宝御神木の脇には88㎏(丸型)と123㎏(長い方)の2個の石があり、これを背負い神社に参拝した「力石」と書いてある。














ここはそば屋さんとお土産店です。












こんな偉大な人たちだったが、最近まで古民家で豪華な自宅をホテルとして営業していたが、時代に飲まれて廃業となり現在は町が買い取り日帰り温泉となっている。
今度は入りに行ってみよう。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022/04/17 06:54:42 PM
コメント(0) | コメントを書く
[史跡めぐり] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X