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オジン0523@ Re:生田緑地のD51(09/26) 奇麗に保存されていますね。 このようなも…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:富山の路面電車(2)(10/09) 風旅記さんへ こんにちは、伊豆と北陸は反…
風旅記@ Re:富山の路面電車(2)(10/09) こんにちは。 富山の路面電車、乗っていて…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:E261系サフィール踊り子車内(04/22) 株式会社JCPLAN 坂本さんへ 返事が遅くな…
aki@ Re:ライドシェア(01/18) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

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2022/05/22
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カテゴリ:伊豆各地

新幹線区

丹那トンネル慰霊碑から戻り、函南駅から1kmほど南に行った上沢という地区には、(新幹線区)という興味深い地名がある。

道路沿いには伊豆箱根バスの「幹線下」というバス停もあり大場行きの路線バスが1時間に1本走っている。





数百メートル上には「幹線上」のバス停もあるので見つけ易い。






近くにいた方に「新幹線公民館はどこですか?」と尋ねると親切に教えてくれた。

多分ここを目指して多くの見学者が来ているのだろう。

幼稚園の脇の入口に「新幹線区全図」と住宅地の配置図案内板がある。




今では、個人宅を実名で表記はしないのだが分かり易い。

公民館はすぐに見つかった。





ここは地域の集会場所として使われているようだ。






この場所は、先日ブログアップした「丹那慰霊碑」の絡みなのだが、在来線の丹那トンネルが開通した5年後の、1939年(昭和14年)に新幹線の元となる「弾丸列車」計画が進んだ。

東京から下関~韓国釜山~中国北京まで、時速200㎞で走る弾丸列車で、いずれは日本海に海底トンネルも掘り、その先もヨーロッパまで続く鉄道を夢見ていたのだった。

その先行工事として約8㎞の新丹那トンネルが掘られることとなった。

現在の函南駅周辺は工事現場となり、資材置き場や病院などが置かれていたため、工事作業員の仮の宿舎がこの地に建てられていた。

戦争などの財政難で2080mで工事は終了したが、その後の東海道新幹線に使われた。

当時の住所は「国有鉄道官有無番地」だったが、函南工事区長が「いつか走る」と信じて「新幹線」と名付けた。











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Last updated  2022/05/22 10:25:05 AM
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