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カテゴリ:伊豆各地
●関東大震災100年 9月1日は1960年に制定された「防災の日」である。 今から100年前の1923年(大正12年)9月1日の関東大震災が発生した日が由来だ。 伊東文化財資料センターで特別展を行っている。 関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日の11時58分32秒に南関東の相模湾北西部の海溝を震源にマグニチュード7.9の地震が発生した。 このため、関東近県では震度6~7を観測し、10万棟の家屋を倒壊させ火災や津波により10万5千人もの死者行方不明者と多くの地域が被害にあった。 伊豆も震源地に近いため、熱海や伊東では死者行方不明者が216名、負傷者600名、全壊600棟、流失700棟の大被害となった。 川奈港にも津波が押し寄せてきた。 伊東の街中には船が流されている。 現在でも、当時6mの津波が押し寄せた川奈や宇佐美のお寺の階段には津波が届いた地点の記録が表示されている。 宇佐美海岸。宇佐美「行連寺」の階段。 川奈の海蔵寺の階段には、元禄16年の「元禄大地震」と安政元年の「安政東海地震」、大正14年の「関東大震災」の津波到達地点が表示されている。 近くの港から高さ8mほどの津波だった。 鉄道被害として、震源の目の前であった東海道本線根府川駅が地滑りにより50m下の海に蒸気機関車と客車とも流され131人が犠牲になった。 駅の改札内にある記念碑。 蒸気機関車は1934年に引き揚げられたが、現在でもダイバーのポイントになっていて海底に横たわるホーム跡が確認できるそうだ。 引き揚げられた蒸気機関車はベイヤー・ピーコック製で、そのナンバープレートはさいたま市の鉄道博物館に展示されている。 山津波があった根府川の白糸川下流にあった集落も土砂崩れで崩壊し、300人ほどが埋まったままだったがその上に新たな集落が作られた。 現在は、無人駅となり野生の猿が線路で遊んでいる。 上流には、軽便鉄道と県道がありこれらの開発が影響した可能性を指摘する研究もある。 いつ起こるともわからない東南海地震だが、12年前の東北大震災を教訓に津波から避難する訓練や津波防止柵、避難塔の建設が行われている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023/08/31 08:52:52 AM
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