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線路脇のカメラマンのブログ

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オジン0523@ Re:生田緑地のD51(09/26) 奇麗に保存されていますね。 このようなも…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:富山の路面電車(2)(10/09) 風旅記さんへ こんにちは、伊豆と北陸は反…
風旅記@ Re:富山の路面電車(2)(10/09) こんにちは。 富山の路面電車、乗っていて…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:E261系サフィール踊り子車内(04/22) 株式会社JCPLAN 坂本さんへ 返事が遅くな…
aki@ Re:ライドシェア(01/18) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

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2023/10/20
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カテゴリ:史跡めぐり


●久能山東照宮(博物館)


徳川家康のお墓がある久能山東照宮に来ている。


最後は直ぐ隣にある博物館に見学だ。







ここで拝見したい目的の物は、家康が外国から賜った時計が保存展示されているので是非見てみたかった。



残念ながら、館内は撮影禁止なのでホームページから引用させてもらった。

家康が使っていた扇子や矢の筒、羽織が展示されている。











刀や鎧兜などが500件20000点が保存されている。








この洋時計は、1611年(慶長16年)にスペイン国王フェリペ3世から家康に贈られたもので、日本で現存する時計としては最古の物となっている。





製造時期は1573年~1581年でゼンマイ式、時打ち、目覚まし付きの金属製小型時計だ。





ここで、伊東で洋船を造った三浦按針(ウイリアム・アダムス)と結びつくことになる。
1609年にフィリッピンからメキシコ(新スペイン)に向かっていた総督(ロドリゴ・デ・ビベロ)の船(サン・フランシスコ号)が日本近海で暴風雨に遭い房総半島の御宿に漂着した。
この時、地元の住民らが317名を救助をしたのだ。

女性が冷たい体を温めたとの伝説がある。






これを聞き家康は食料や衣類などを贈った。


40日後に総督は、駿府に行って家康に面会し交易をについて話をすると、家康は西洋帆船と渡航費を提供すると約束し、1610年ウイリアム・アダムスが伊東で建造した「サン・ブエナベンツーラ号」に乗り日本人商人20名とともにメキシコに帰還した。

伊東市役所にある船の模型。





翌年に、探検家で商人のビスカイノが日本への答礼使として派遣され、家康から借りた渡航費の返却と贈り物を持参した。
この中に時計が含まれていたのだ。





しかし、この時計は日本の時法と違っていたので使用はされていなかったようで、家康の死後ここに祀られ重要文化財となっている。


一次は盗賊により盗まれたりもしたが、2014年にはイギリスの大英博物館の修理士により分解洗浄も行われている。




この時代の同様の時計は世界に20個ほどしか現存していない貴重な物だ。
















続く・・・






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Last updated  2023/10/20 05:37:07 AM
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