570394 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

線路脇のカメラマンのブログ

線路脇のカメラマンのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Calendar

Profile

線路脇のカメラマン

線路脇のカメラマン

Comments

オジン0523@ Re:生田緑地のD51(09/26) 奇麗に保存されていますね。 このようなも…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:富山の路面電車(2)(10/09) 風旅記さんへ こんにちは、伊豆と北陸は反…
風旅記@ Re:富山の路面電車(2)(10/09) こんにちは。 富山の路面電車、乗っていて…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:E261系サフィール踊り子車内(04/22) 株式会社JCPLAN 坂本さんへ 返事が遅くな…
aki@ Re:ライドシェア(01/18) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

Archives

Recent Posts

2024/06/08
XML
カテゴリ:保存車巡り

若狭湾周遊の旅(旧敦賀港駅舎)

のんびりユッタリ若狭湾の旅に出かけている続きです。

●敦賀鉄道資料

SLを取材して再びタクシーに乗って海が見える場所にある「敦賀港鉄道資料館」で降ろしてもらった。






この建物は、1882年に敦賀に鉄道開通するとともに建てられた「旧敦賀港駅舎(金ヶ崎駅)」で、戦災により当時の資料が残っていないとしながらも開港100周年に再現されたようだ。
入場無料。










この港は、昔は北前船の出入り港として栄えていた。





1882年(明治15年)新橋ー横浜間の鉄道が開通から10年後に、ここ金ヶ崎ー洞道口間(柳ケ瀬トンネル西口)と、柳ケ瀬ー長浜間の米原方面が開通したが、明治17年に完成するまでのトンネル工事中(1170m)の時代は一旦列車を降りて峠を歩いて再び反対側の列車に乗ることをしていた。

トンネル入り口に伊東博文の書が掲げられていた。




現在そのトンネルは県道140号線として使われている。

近くには金ヶ崎城跡もあり、駅も当初は「金ヶ崎駅」だった。

洋風的な博物館への入場は無料で、駅舎の雰囲気は無いが1階は鉄道関係の実物資料と車両模型が、2階はパネルで複製資料の展示コーナとなっている。

精巧なSLの模型。現在山口線で走っているD51200.


静岡の遠江二俣で最後を迎えたC58200。


お召列車仕様のC571。










こどもを乗せて走れる軌間127㎜の大型模型。










床の3D



この港からかつて「欧亜国際連絡列車」として新橋~敦賀港~ウラジオストック~シベリア鉄道経由のヨーロッパ行きの発着地となっていた凄い場所なのだ。

















沿線には「日本遺産」となっているレンガ造りのトンネルがたくさんある。




















1912年から1、2等寝台車を連結した国際列車が運転され、ヨーロッパまで辿り着くには半月ほどかかったとか。














当時は飛行機も無く、船でも数ヶ月かかるのでこのルートが最短だったのだろう。







冒険家のアムンゼン、建築家のブルーノ・タウトや政治家達も利用していた。
そんな夢のある時代も経験してみたかった。



撮影禁止となっているが了解を得たのでアップします。

続く、、、、






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024/06/08 12:10:12 AM
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X