噛み合わず
誰かに「普通」だとか「真面目」だとか言われる時は、あぁこの人は自分の持っているフィールドへのドアを開けられないだけなのにと思う事がある。こっちからしたら外国へ来たかと思う位の言語空間で一気に疎外感を体感して頂く事が可能だと思っている。それが分るから極端な部屋の扉は開けないまま、応接間にて何となく穏便に、何となくお茶を濁しながら、何てこと無い会話をして済ませる。自分も同じ様な感想を誰かに持った時には、同じ様な事で気を遣って頂いている事が多々あるだろう。だからこそ、共通言語が成立した時の喜びはひとしおであるし、そうして気を遣いながら何とか丸く収まっているのが社会というものならば、さらけた途端に噛み合わないのは必然なのかも知れない。