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雪香楼箚記

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アンスカ国文学会


2007年04月09日
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カテゴリ:カテゴリ未分類



 さて、六四三番の詞書のなかにあらわれた情報のなかでも、ことにわれわれの興味を引くのは、「名は小鹿と曰ふなり」という部分です。
 小鹿はヲシカと訓むのでしょうか。これほど古い時代の女の人で、名前がはっきりわかっているという例はめずらしい。紀郎女というのは、あくまでも呼名です。この類の名前であれば、『万葉集』にも、あるいはそれ以降の文献にも、いくつか例が見られるところですが、ここで言う「名」はおそらく本名のことでしょう。
 『万葉集』巻一の巻頭にある雄略天皇の長歌に

     籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 名告ら
     さね(1・1)

という一節があります。若菜を摘む乙女に天皇が求婚する。そのとき「家聞かな 名告らさね」、つまり「その家の名を聞こう、名を告げさせよう」と男の側から歌いかける。
 家の名を名のり、あるいは名を名のることは、特別な意味を持つ行為であったのでしょう。古代の人々は今のわれわれのように、かんたんには相手に名を告げなかった。ふだんは紀郎女のような通称で用を足して、ほんとうの名はよほどしたしくなった人――たとえばみずからのもとへ通ってくる男――にしか教えなかったのです。
 それでも男には、家居のほかに世間での生活がありますから、親しい相手でなくとも名を告げる機会がないでもない。官人として朝廷に出仕すれば、書類や名簿によっていやでもみずからの名前を紙の上に書き、あるいは声にあげて読むことになります。ところが女の人には家庭の生活しかないがために、「名告ら」す相手も、機会もごくかぎられたものになる。文献の上に、古い時代の女の人の名があらわれないのはそのためでしょう。
 もっとも、ここにあらわれる「小鹿」を、名ではなく、紀郎女のような通称の一種ととらえる説もあります。しかし、それではいくつか疑問が残る。
 まず『万葉集』では、女の人の通称を注に示すとき、「名」ではなく「字」(あざな)という言葉を使っています。たとえば

     夏の雑歌、藤原夫人の歌一首〈明日香清御原宮の御宇の天皇の夫人なり。字は大原大刀
     自と曰ふ。即ち新田部皇子の母なり。〉(8・1465・詞書)

というふうに。「刀自」は一家の主婦を尊称する呼びかたですから、「大原大刀自」は通称であることがはっきりしています。一方で「名」とした例は、

     藤原朝臣八束の梅の歌二首〈八束が後の名は真楯。房前が第三子なり〉(3・398・詞書)

     丹比真人の歌一首〈名は闕けたり〉(8・1609・詞書)

のように(「闕」は「欠」と同義)、ほんとうの名、「名告らせね」の名を指したものがほとんどですから、『万葉』の書式に統一性があると考えるなら「名曰小鹿也」も本名を言ったものととらえるのが自然でしょう。
 いらつめさんのお父さんが鹿人(カヒトもしくはシカヒトと訓むのか)であるという点も、こうした推測の傍証になります。たとえば大伴家持の弟が書持という名前だったように、奈良時代も末のほうになってくると、兄弟や親子で名の一文字を共有するという習慣が見られるようになります。鹿人さんの娘だから、小鹿さん。おそらくそんな手順でついた名前なのでしょう。鹿人というのは名であって通称ではありませんから、そこから一字もらったとすれば、小鹿というのも通称ではないと考えられる。
 それに、「紀郎女怨恨歌三首〈鹿人大夫之女名曰小鹿也安貴王之妻也〉」という詞書の収められた『万葉集』巻四は、大伴家持が最終的に筆を入れて現在のかたちになった巻と思しいことも、興味を引きます。いらつめさんの歌は、おそらく彼女から直接もらったメモか、あるいは家持が口づたえを書きとったのを保管しておいて、巻四を編むときに詞書だけ書き足したものでしょう。つまり「名曰小鹿也」を記したのは家持自身である可能性が高い。
 ……と、すれば、家持はいらつめさんの名を知っていたことになります。同じく家持が編んだ巻八に「名は闕けたり」(名を聞きもらした)とする詞書があることからすれば、彼は必ずしも『万葉集』に作者の名を記すことに熱心だったわけではない。わかる人の分は書いたし、わからない人については不明と書くのが基本的な方針で、つまり作者の名がわからないからといって本人に問いあわせることまではしなかった。要するに、家持はもともといらつめさんが小鹿という名であることを知っていた。
 先にも言ったように、この当時、特に女の人の名を、親兄弟でない男が知っているということは、それが彼女と恋愛や結婚の関係にある相手であるということを意味しています。名前を教えるということは、それほどに大事なことであった。いらつめさんの名を知っていた家持は、おそらく彼女の年下の恋人だったのでしょう。『万葉集』の註釈のなかには、いらつめさんと家持の贈答歌に戯れめいたものが多いこと、いらつめさんが一度結婚していたこと、二人の年が離れていることなどを理由に、恋歌の往来はあったものの、実際には二人が恋人どうしではなかったとする説を採るものもありますが、ぼくはそうは考えません。
 麗々と「名は小鹿と曰ふなり」なんて詞書に書いている以上、家持はほんとうにいらつめさんの恋人だったに違いない。





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最終更新日  2007年04月09日 11時07分43秒
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