数多くのポルトガル・レジェンドの中で、最も多くのタイトルを勝ち取ってきた
のは、長くポルトガルの守護神として君臨していたヴィトル・バイーアだろう。
ポルトガル代表を始め、ポルト、バルセロナで積み重ねた20年のキャリアで
30ものタイトルを獲ったという。
そのバイーアがFIFAのインタビューに答えている。
・・・長文なので抜粋。
ヴィトル・マヌエウ・マルティンス・バイーア
-ポルトの国際部門の責任者としての仕事について-
「朝に大学でスポーツ・マネージメントの講義を受け、午後からクラブの
新しい仕事を行なっている。」
「UEFAやG14の会議にポルトの代表として参加している。」
-監督のキャリアを歩むことについて考えたことがあるか-
「全ての選手が監督になる必要はない。」
「実際そうならば、多くの人が失業しているだろう。」
「監督としての資質を持っているかもしれない。」
「しかし、今は監督をする時ではない。」
「今の仕事でポルトとポルトガルのサッカーの役に立てると考えている。」
-選手キャリアについて-
「自慢をするつもりはないが、素晴らしいものであった。」
「私はほとんど全てのタイトルを獲った。」
「永久に私の名前が残るだろう。」
「チャンピオンズ・リーグ、UEFAカップ、カップ・ウィナーズ・カップ、
インターコンチネンタル・カップのタイトル全てを獲れるのはごく
限られた選手だ。」
-その中で最も嬉しいタイトルは-
「チームに貢献できたという意味で、2003年のUEFAカップだろう。」
「ポルトで最初の国際タイトルで、延長戦の末に勝ち取った。」
「物凄く嬉しかった。」
-選手キャリアでやり残したことは-
「ポルトガル代表でタイトルを獲りたかった。」
「我々は強いチームであったが、常にタイトルを逃してきた。」
「フィーゴ、ルイ・コスタ、パウロ・ソウザらがいた世代において、
タイトルを勝ち取るべきであった。」
「ユーロ2000の3位という記録に満足しなければならない。」
-今までの悪い出来事について-
「一つは、膝の手術を4回行なって、2年間ピッチから離れていたこと。」
「もう一つは、代表のキャリアを終えた時のことだ。」
「ポルトガル代表のために80試合戦ったが、2002年のW杯以降、
スコラーリは(説明もなしに)私を呼ばなかった。」
「投票で03-04シーズンにヨーロッパ最高のGKとして選ばれたのに、
それは少しおかしい話であった。」
「ユーロ2004の前に国内リーグとチャンピオンズ・リーグのタイトルを
獲っても、電話がなかった。」
「個人的には、ヨーロッパで最高のGKに選ばれた選手が国の代表に
選ばれないはずはないと考えている。」
「しかし、実際私の身に起こった。」
「振り返ってみて、私がいないことで代表は多くのものを失ったと思う。」
「しかし、それ以上に、ポルトガルで行なわれた大会に出れなかったと
いう(私自身の)悲しみの方が大きいであろう。」
-ポルトに復帰した時に背番号99を付けたことについて-
「それは笑い話でもある。」
「1999年にポルトに戻ってきた時、既に背番号1が使われていた。」
「だから、99番が可能かどうか聞いてみたんだ。」
「私のヴィトル・バイーア99という財団の名前にも使われている。」
-財団の目的について-
「プロ選手には大きな社会的責任があると思っている。」
「色々な問題を抱える子供たちや若者の助けになりたいと考えている。」
バイーアとスコラーリの関係は遺恨問題として今後も残ることだろう。
ポルトがヨーロッパのタイトルを獲った後のユーロで、バイーアを呼ばず、
不調のリカルドを呼んだことについては理解できない部分があった。
それでも、スコラーリはユーロ2004とドイツW杯でリカルドを起用して、
それが見事に当たっている。
両者の主張は正しかったのだから、解決は難しいだろう。