親行というワークをしている友人がいて
その人と話をしていて気付いたことがあります。
その友人からまたその友人の人のカウンセリングを
頼まれてしていたのですが、面白いことに気付きました。
同じような話し方をするのです。
一種独特の言い回しがあるのです。
親行独特の言い回しがあるねと友人に言うと
今度その独特の言い回しをしていたら教えて欲しい
と頼まれていたので今日も電話をしていたので
さっそくチェック すると
「話を聞いてあげなきゃいけないから」や
「子供の話を聞いてあげる」を連発するんです。
うーん 私は子供の話を聞くときに
「話を聞いて上げなきゃ」・・・とは言わないなあ
「話を聞く」とか「話を聞いている」とは言うけど
「聞いてあげる」とはいわないなあ
なんだか不思議な言い回しだなあ と思ったのです
「その言い回し自然じゃないよ」と言ったら
最初はなかなか理解してもらえませんでした。
そこで
「話をきいてあげ なければならない」と続きそうだなあ」
「話をするほうと 話を聞くほうと
お互いが対等な立場の時には あげるとは言わないよね」
というと・・・・友人は
親行に来る人は
あまりにも今まで子供の話を聞かないで来た人が多いので
逆に「子供の話を聞いてあげましょう」という問いかけを
多くするのよ 「私もそうだったの」といわれました。
余りにも聞く耳を持っていない状況の時には
「話を聞いてあげましょう」も有効だと思うのですが
その針が逆に振れると、
「話を聞いてあげる」も逆効果の作用をすることもあるよなあ
今度は「聞かなければならない」に陥ってしまって
聞く態度が自然体ではなくなってしまって
脅迫的になってしまいます
そうなると、子供が次は何をするのか 自分に何か
訴えていないかと子供の様子ばかりが気になって
子供の行動をすべてみていないと気がすまない状況に
陥って最後には自分を犠牲にしてまでも子供の話を
きこうとすることも起こるようです。
たとえば
眠たくても辛くても子供の話を聞かなければ・・・・
見たいな感じです。
子供も今度は親が話を聞いてくれないと
不安になったりして、情緒が不安定になったり
暴力的になったりと供依存関係が生まれ
独り立ちできなくなっていくかもね
と言うと「そうねその通りだわ」
子供を手放すとき不安で不安で仕方ない
自分がいるわ」
と友人は言っていました。
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