崇徳上皇ゆかりの地を巡って(その13)
保元の乱が終わり、崇徳上皇は流罪と決します。
その配流の地は、私が住んでいる香川県(讃岐の国)でした。
隣の市になりますが、坂出市に流されて来ました。
一番最初に上皇が上陸した松山津、生活なされた「雲井御所」と「木の丸殿」、崩御なされ埋葬された白峰寺の天皇陵、二条天皇が崇徳上皇の御霊を慰める為に建立した「白峯宮」までご案内致します。
約八年間の流罪生活の基盤を嫁ハンと共に訪ねる事にします。
嫁ハンと一緒に訪れた時は案内説明に一生懸命になって写真を撮って居ませんでした。
改めて訪れる機会を作って写真を撮影してきました。
前回の記事は私の言葉で、崇徳上皇の天皇陵の雰囲気を汚したくなかったので、必要最低限のご案内だけに致しました。
西行法師の道
西行法師は大河ドラマ「平清盛」でも出てきますが、佐藤義清(のりきよ)が出家して西行法師になりました。
和歌を通じて崇徳上皇とは親交が深く、上皇の崩御を深く悼み慰霊のためにこの地に訪れました。
日本最大にして最強の怨霊となった崇徳上皇の霊を慰め鎮める為に西行法師が、この天皇陵に参って和歌を詠んで、
「よしや君 昔の玉の
床とても かゝらん後は 何にかはせん」
と、崇徳上皇の御霊を慰めました。
また、天皇陵に隣接する白峰寺境内には頓証寺(とんしょうじ )と勅額門が鎮座しています。
頓証寺と勅額門の建物は、流されて過ごした行宮(御所)を、死後にここに移築した事になっています。
現在残っている建物は、火災で焼け落ちた為に高松藩主松平家が再建した建物です。
この札所には、天皇陵、頓証寺、勅額門と遺跡が多く残っています。
多くの写真を掲載致しますので数回に渡ってUp致します。
この情報の続きは下記のページでご覧下さい。ブログで掲載している写真では案内板の文字が読めないと思います。
ホームページでは案内板の文字が読めるようにもっと大きな写真を載せています。↓
崇徳上皇ゆかりの地を巡って
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最終更新日
2012年08月08日 16時22分17秒
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