目線の高さ
今日で当社の上半期が終わる.だから思いをはせるという訳ではないのだけど,近頃「目線を上げる」ことの大切さを改めて感じている.僕は良くも悪くも小さいときから,自尊心と言うか根拠のない自信があって,何でも必ず出来ると自分の能力や運みたいなものを疑いもなく信じていた.幼稚園の時は屈指の悪ガキで園内を我が物顔に振舞っていたし(まあ幼稚園児だからしれてるが),小学校のときは学校で一番頭が良くて運動が出来ると信じていた(客観的裏づけなし).小学生低学年の時に担任の先生から,「あなたは自分のことは出来るのだからお友達を助けるのが役目よ」と言われて,これが僕の人生に今でも影響を及ぼしていると思う.良い意味での「恵まれた人の社会的責任」を教えられたのだと思う.中学に入っても高校でも,自分が真剣に取り組んでいることに関しては,少なくても把握可能な周囲の中で一番良い成績をとることにどうも変な自信の持っていたように思う.現実には,一番であったり全然そうでなかったりするのだが,僕のおめでたいところは,全然駄目だったときも「何かの間違いで次は必ず成功する」って本当に思って何の不安も抱かず努力を続けれるところだと思う.そこで冒頭の「目線」の話しになるのだが,そういう頃の僕は自分が社会的に(ちょっと)成功するとか経済的に恵まれるなんて,(本当に不遜な話しだが)当たり前に保証されていて人生の目標とか努力の対象にならなかったのだ.だから大学でも経済学とか会計学とか多少実学的な分野には全然興味がなくて,法学部に入っても商法とか民法とか世の中の実際の活動に関係することにも興味がなくて,興味があったのは世界平和とか貧しい人を助けること(小学校の教え)であったのだ.専攻もだから,憲法とか国際法とかおよそ世間的でない分野を選んだ.その頃の(僕にしては)現実的な夢は「外交官になって国連などの国際機関に派遣してもらって,日本人には難関で激務の途上国関係の仕事につきたい」というものだった.この夢は多少の紆余曲折があって,実際にイギリスに留学して途上国経済学を学んだ後,現在は中小企業経営を通して社会貢献することの可能性を探っている状況になっている.まだ「目線」の話しになってないなあ.そう,こういう僕は今でも変わっていない.今(たまたま)いる害虫駆除業界は,結構国際的でアカデミックでしかも公共性があって,にもかかわらず社会的に高く認知された業界とはいえない.言葉は悪いが,先進国日本における「発展途上国業界」であるとさえ思っている.実際の途上国も本当に発展の途上の将来性のある明るい国ばかりではない.賄賂ははこびり国民は疲弊し,どっちかというと諦めムードで結構暗くて人々は刹那的に生きている.都市は貧富の差が広がりエゴ丸出しで人々も多いし,農村は貧しいのが一般的だ.害虫駆除業界で業界の地位向上と発展を目指して頑張っている(途上国業界の一員としての)当社は,こう考えると案外僕の夢と重なっているのかもしれない.日々売上の数字とか社員の問題とか事務ミスの問題とか取引先の社長のご機嫌ばかり考えていると,こういう「目線の高さ」を忘れがちになってしまう.しかもある分野で成功すれば,そこから更に近隣分野へ発展させていくことも出来るのだ.会社経営の社会的意義は,究極的には「経済的行為と成長を通じて,創造的な方法で,顧客と社員の幸福を増すこと」だと思う.目の前の事象,数年後の姿,究極の夢をすべて同時に忘れることなく,「目線の高さ」を保って日々努力していきたいと思う.