公と私
購読しているブログにいつも思っていることが書いてあった.英語圏のネット情報が充実していて,大学や図書館などの「知の公的意識」が非常に高いということだ.スタンフォード大学などの講義をipodを通じて,一般公開している.どこにいてもituneさえあればダウンロードして(一部の)講義を聴くことができる.最高の知とされているものを一般に公開することの意義を責任として受け止めている風潮が英語圏にはあると言う.これをブログの筆者梅田氏は,「最近の私の深い危惧は、このまま十年が経過すると、ありとあらゆる分野の「学習の高速道路」が英語圏にのみ敷設され、英語圏に生まれ育つことの優位性が今以上に増幅されてしまうのではないかということだ。」と危惧している.しかし,もちろん一方的な献身というのは社会全体としてはあり得ない.「知を公開する仕組み」の裏側として,「知を吸収する仕組み」が英語圏,特にアメリカにはある.アメリカの大学や研究機関には多くの外国人がいる.特に理系の世界では,世界中から超優秀な頭脳が集まってくる.今では市民権を取ったりしている人も多く,最高の才能を誘引する仕組みがアメリカにはある.実際,インテルの創業者,今をときめくグーグル,多くの新興企業の創業者が移民一世や二世である.一方で情報を公開する,もう一方で「本場アメリカに来なさいよ」という魅力を打ちだす.これがアメリカの強さの源泉でもあるのだろう.そして両者は実は密接な関係にある.今回の大学講義の公開にしても,「こういう人たちがいる本場に行って研究したい」と考える人たちを増やすことにつながるのだろう.なんにでもインターアクティブな要素,すなわち作用と反作用があるということだ.「一般に公開する」ことが,「特定場所に頭脳が集まること」につながる.つまり,「公」とされるものが,その反作用として「私」を充実させたりする.社会に貢献して(=公),私的には「損」なように見えて実はしっかり元が取れるってことだ.社会としてそれができることは非常に強い.これは国家に限らず,企業でもそうなんだよなあ.