型を極める
忘れない内に,またまた続きです.イチローや羽生の様な人たちを例に出したけど,彼らはいわば,「型を極めた人たち」と言える.野球や将棋という型を極めた人たちは,もちろんその道でトップに立つのだが,同時に生計を成り立たせ,人格を高め,人々に感動を与えている.「型」という一見窮屈な「決まりごと」の世界の中で日々精進を重ねた結果,面白いことに,「型」を超えた普遍的な感動を生み出すのだ.考えてみれば野球なんて,細かいルールの下で投げられた球を打ち返すだけ,将棋なんてほとんど日本でしか通じない,子供の遊びみたいなものかも知れない.しかしそれを日々極めていく過程で,生活の糧になるお金を生み出し,人格が向上し,しかも他人をも感動させることになる.将棋がなければ,羽生は羽生足りえたのか?もちろん,他の「型」でも彼は同じことをしていただろう.しかしやはり「型」がなければ,修練はあり得ない.僕が昔から「受験勉強も修練のひとつとして有効」と思っていたのは,同じような理由からだと気づいた.受験勉強の中身はほとんど役に立たないことばかりだ.でも自分を律して数年かけて何かを成し遂げるという「型にはまった努力」は後の人生で必ず生きてくる.普通の人が誰でも体験する「型」はこの受験という儀式であろうし,特別に何かに秀でた人なら,ピアノとか,野球とか,特殊なところでは歌舞伎役者の子供とか,そういうものもあり得る.ちょっと理解が難しいけど,中身に意味があるのではない.「型を修練すること」自体に意味があると思うのだ.もちろん,「型」としての会社は,それが(1)生計を成り立たせるものであり,(2)それを通じて人格が高まるものであり,(3)社会(顧客)に貢献するもの,でなければならない.だから繰り返しになるが,「型」を作る行為,すなわち会社の組織作り,ビジネスモデルの構築はとっても大事になる.さて,当社ももっと面白くて楽しめる「型」を作り,その中で達人をたくさん生み出したいと思っています.