練習の目的
最近、母校の水球部強化のため、まずは入学前の部員候補生を集めないといけないと考えてジュニアチームを作った。本来、有望な中学生を募集しようとしているが、何故かまだ、僕と監督の子供、その友人の小学生三名だけである。まあそれはさておき、と言う訳で最近毎週母校のプールに通っている。自ずと高校現役チームの練習を観ることになるのだが、今日も横目で見て少しアドバイスなどしてあげた。今日おかしいなと感じたのは、競泳の練習である。水球部だから競泳は、水球の練習の一環として位置づけられる。勿論、インターハイ、国体を目指すチームだから、競泳も結構な量を泳ぎ込む。コースロープを張って、ひたすら400メートルとかを何本もこなすのだが、その横でうちのジュニア達がボールの練習をしている。ボールが何度もそれてコースの中に飛び込む。しかもボールを取りに行くから尚更「邪魔」である。競泳の練習を見ているマネージャーが(先輩の僕には何も言えず)迷惑そうに見ていたので、遠慮して子供達を他の場所に移した。でも考えてみると、本当に「邪魔」なのか、疑問に感じて来た。競泳は水球の練習の一環である。水球は相手チームと争って、時には引っ張り合い、蹴り合いながら泳いでいかねばならない。だからそもそもコースロープを張って、波がなるべく来ない様に自分の殻に閉じこもって黙々と泳ぐのが間違っている。いや、間違っていると言うか、そんな場面は水球の試合にはない。だから本当に「水球の試合に勝つための練習」なら、コースロープは張らず、10人とか20人が、ごちゃごちゃになって、しかもボールや子供達の障害物を避けながら、でも400メートルとかを速いタイムで泳がなければならないのだ。世の中でもこういうことはよくある。目的は顧客満足度であったり、収益を上げることなのに、目の前のことをきちんとやることだけに忙殺されることがある。「目の前のこと」はあくまで手段であり、練習であるから、常にそれは「本当の目的」に役に立つものでなければならない。お客さんのところに通うことが目的ではない。通わなくても顧客満足度が上がって、売上、収益が上がるならその手段を取るべきだ。通っていることが偉い訳でもない。努力は大切だが、先輩や他社がやっていることをそのまま踏襲して自分たちもやる必要はない。目的を見失わず、目の前のルーティーンが「本当に試合で役に立つか」を考えるべきである。来週また母校に行ったら、精一杯高校生の練習を邪魔させようかなと思う。小学生に邪魔される様な選手は、試合では全然通用しないだろうから。決して、自分の子供だけに甘い、「モンスターペアレント」ではないです。