スポーツの結果をどう捉えるか
ウィンターオリンピックが開幕して、悲喜こもごもなドラマが繰り広げられている。審判の問題、もしくは風向きなどの自然現象、今日は羽生選手はリンクの穴に足を取られてしまった。4年間、いや競技を始めた子供の時から厳しい練習を積んできた結果が、ほんの少しのアンラッキーで報われないものになる。その一方では(ラッキーな)勝者もいる訳だが、人間の一生を左右するイベントが少しの偶然に大きく影響される。だからこそスポーツから得られる教訓は大きいとも言える。努力は必ずしも報われるか分からない。このことを劇的な形で本人、そして周りの人に教えるのがスポーツだ。しかし努力したその事実が、(大会では結果が出なかったとしても)その後の一生に必ず良い影響を与える。すぐに良い結果は出ないかも知れないが、10年20年のタームで見た時には、必ず良い結果が出る。そして何より、結果が出なかったとしてもそれは自分の中の出来事であって、誰に対しても責任を感じなくても良いと言うことだ。これまで支えてくれた恩師、スポンサー、関係者、保護者、いろんな人々がその選手の周りにはいるけれど、それらの人は結果を求めて応援していた訳ではなく、その選手を活躍を(結果の如何に関わらず)支えようとしていただけだ。オリンピックや大きな大会の結果は、選手はもちろん、誰も左右することは出来ない。結果を保証することも出来ない。そういう、不確かな未来に対して、選手本人、周りのサポーターの皆が夢見ながら努力すること自体に価値がある。これは企業活動も同じ。結果が良いか悪いかは結果論。悪かったからといって誰かを責めることは良くない。そして結果が良かったら、それこそ手放しで褒め合う、喜び合うと言うのが正しい姿ではないかと思う。