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テーマ:癌(3550)
カテゴリ:病気
私が死を覚悟したのは13年前
息子を身ごもったとき 今進行しているMDSの症状が出た時からだ 私は息子を産む前にも1度妊娠をしている その時の婦人科の先生から貧血が酷いと告知された 訳合って中絶したのだが、中絶後、貧血は収まった この時にMDSだと分かっていたら、息子を出産することは無かっただろう 今でこそ、医師にMDSと言うと分かってもらえるが、13年前はそういう言葉すらなく、骨髄異形成症候群という病名で、何が原因か、どういう病気か、どう進行するのか分からない時代だった 当時、色々な文献を読み漁って、自分の今の症状から推測される病気は「再生不良性貧血」だと思った 子供を産めるかすら分からない状況の中、自分の生死も分からなかった私は、死を覚悟した それでも何とか宿した命だけは何とか護りたいと思った 医師から妊娠7ヶ月まで持てば、子供は助かると言うことを聞き、何が何でもそれまでは頑張らなきゃと色々と努力した 体調の変化 階段を登ることさえ困難な身体で家事をこなしながら、いつ訪れるとも分からない死の恐怖でいっぱいだった なんにせよ流産もせずに、妊娠8ヶ月まで何とか無事に過ごせて来れた そして、臨月を待たずに息子は早産で生まれた 未熟児として生まれ、生まれて直にこの腕に抱くまもなく、点滴を打たれ、ミルクを注入するためのチューブを鼻に差し込まれ、保育器に入れられた 一方、私の方は死を覚悟していたが、出産が終ると共に、症状は回復していった とはいっても、もとの身体に戻ることは無く、定期的に病院に通い、検診を受けることになった 私は息子の為に、命を捧げようと思った だから、とても息子が大切だった 未熟児ゆえに、いろいろな病気に掛かり、夜間救急病院へよく通った それでも息子が生きているという事が私にとって、とても幸せなことだった 骨髄異形成症候群とういう病名がMDSと言う言葉に変ったのはいつのことだったろう? (尤もMDSとは骨髄異形成症候群の英語の略語であるが) 10年くらいは症状が落ち着いていた 時々疲れが酷くなると、血液検査のスコアが悪くなることはあったが、死んでしまうというほど酷くなることは無かった ところがこの1年、病気の進行が進んでいる 今までは妊娠すると悪くなると思っていたが、今はそうでは無い事が分かった 何が原因かはわからない ただ、今私に分かっていることは、この症状が急速に進行し、処置をしても治らないとき、私の病名は急性白血病になるということだ いくつかの病院でセカンドオピニオンを受けた その結果、今の慈恵大病院でお世話になることを決めた 今の担当の主治医は染色体に関しての権威である 骨髄検査から、私の染色体は異常がある事が判明している 普通、血液は骨髄から作られるが、私の骨髄は異常があるために骨髄以外の臓器からも血液が造られている そのため、有核赤血球と言う不完全な赤血球が発生している 簡単に言えば、血液の癌である 私は今、その進行が進んでいる状態にある 正直、いつ死んでもおかしくは無い 今、血小板のスコアはレッドゾーンに入っている 少量の出血ならばともかく、少しばかり多くの血を流せば直に死ねる状態にある 正直、このところの体調を考えると、死の影が私を襲っていることを感じぜすにはいられない 微熱、息切れ、頭痛 こういった症状が毎日続いている 今生きていることも、何の治療もしないことも、不思議である 尤も、今回はさすがに主治医も気にして投薬治療を考え始めた 投薬治療をするということは、がん治療を行うと言うことだ そうなったら、今の生活は続けることは出来ないであろう 私は生きるための治療をするよりも、今の生活を続けて死を選びたい 生きている目的がないからだ 家族と別れ、一人で生きている私には、もはや生きる目的も希望も無い この辛い身体を引き摺って生きるくらいならば、楽になりたいと言う気持ちがとても強い to be continue お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 4, 2007 05:52:58 PM
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