ドストエフスキーの「白痴」
ドストエフスキーの「白痴」を読んでいます。「白痴」は全編がハートセラピーの物語になっています。つまりムイシュキンにとってラゴージンが、ラゴージンにとってムイシュキンが、ハートセラピストになっているわけです。そしてハートセラピーではだいたい半年後に最初の山場が来ますが、「白痴」でも二人が出会って半年後に大事件が起こり、一人は自殺、一人は廃人同然になります。この二人は最初の山場を乗り越えられなかったことになりますが、これは二人の別々の生身の人間の話だからそうなったので、ハートセラピーではセラピストは単なる役割を演じているだけなので、こういうことにはなりません。この最後の大事件の場面を一人の人間の内での出来事と解釈すると、乗り越えられたことになります。最後の場面が感動を与えるのはそういったわけです。ハートセラピーとは?