真にもっとも美しい人間とは?ドストエフスキー『白痴』(1)
以前ドストエフスキーの『白痴』について書きましたが、http://plaza.rakuten.co.jp/senrisaya/diary/201602270000/ドストエフスキーはこの小説で「真にもっとも美しい人間」を書いたと言っているのですが、どう読んでもそうは思えないという議論があるようです。これは「美しい人間」と言う言葉を誤解しているからです。美しい人間とは、人格が高潔など素晴らしい人という意味ではありません。自分の問題点を克服しようと(無意識で)精一杯努力している人という意味です。「無意識で」と言うのが大事ですが、かつ、ここで問題点がこの社会で成功するとか、能力を発揮するとか、社会に適応するとか、人間関係の改善という点でないというのもポイントです。なので、「真にもっとも美しい人間」とはハートセラピーを受けている人とも言えます。「真にもっとも美しい人間」はなぜ「白痴」なのでしょうか?ハートセラピーの中で、自分の問題点を克服しようとすると、その問題点が大きいと頭が働かなくなります。(強い抵抗を克服しようとすると、頭が働かなくなるわけです。)無意識のうちで自分の問題点を精一杯克服しようとする人間つまり美しい人間である時だけは「白痴」になるのです。もちろん、これはハートセラピーを実践しているときだけの話で、普段の生活の中で白痴になるわけではありません。なので「真にもっとも美しい人間」を描くなら、「白痴」でなければならないのです。ドストエフスキ-のような超一流の作家になると、さすがに人間の心の真実が分かっていたということでしょう。意識の上では、自分の問題点を克服しようと努力している人は大勢いると思います。しかし、それが無意識まで届いているかと言うと、ほとんどの人は届いていないのです。もちろんハートセラピーを受ける人で、美しい人間になりたいという人はいません。病気を治したい、人間関係を改善したい、能力を発揮したいなど、俗世間の願いと同じです。・・・続くハートセラピーとは?