新年に思う
新しい年を迎えました~~クリスマスは特別な事もなく、教会のイヴ礼拝に行って、行事を見学し、家族といつもどおりにクリスマスのお料理をたべて。いつもと違うのは、、、心を込めて主イエスの誕生を祝い、祈ったことです。なぜか、昔からいつもこの時期になると思ってました。クリスマスは、子供たちがプレゼントをもらう催しでないしましてや恋人たちが特別な夜を過ごすチャンスでもない。イエス・キリストが産まれた日で、クリスチャンにとってはそれを祝う特別に厳粛な日なんだけどなぁぁ~~ って。漠然と。明けて新年 2011年です。やっぱりいつもどおりにお雑煮を作って、家族でおせちを食べて、お年始のお客様を迎える。そして、近くの神社に初詣にいくのですが・・・・今年はちょっと、躊躇しました。神社にお参りに行くということは、クリスチャンとしてどうなんだろう。一年の無病息災を、神社の神様にお願いするということはどうなんだろう。私の神様は、神社にはいらっしゃらないはず。神社の神様に真っ直ぐな信仰を持つ人の信仰心は尊重しよう。でも、ただ日本人であるという事で、漠然とお参りに行くことはどうなんだろう。神事にしても仏事にしても、今まで無信心な私は、神様のことも仏様のことも深く考えず、深く知ろうともせず、ただ与えられる機会に参加していただけ。そんな私が、イエス様の愛と光に包まれながら、かりそめの神事に臨場してよいのだろうか。迷って、、、いぇ、迷わず、神社へのお参りを辞めました。どうだったんだろう、それで正しかったのか。答えを与えてくださるのはイエス様しかいない。祈るしかない。祈って答えを頂くしかない。55年間の、背骨の無い生き方を、省みて思う。今、私が活きる場所は、イエス様の射す光の中なのだということを。