誕生日の前日は、市役所と年金事務所に行き年金手続きに行ってきた。
既に銀行の振込みなどの手続き書類を持参していたが、まず市役所で家族全員記載の戸籍謄本と住民票(住民コード記入のもの)と所得証明を揃え、その後市役所の隣にある年金事務所に行った。
だれもが通るこの大事な手続きのある節目の誕生日は意味深い。
今迄はなんだかんだ言っても50代は若く、60代からはいよいよ年寄りの仲間入りだと思っていた。
しかし、そんな私も、やはり人の定め、嫌でも歳をとるものだ。
市役所に行ったら、折り紙で作った笑顔のかわいい猿が、課の受付のあちこちに飾られていて、申年の私を迎えてくれてるような気がした。
ずいぶん久しぶりだな・・・家族全部の記入の戸籍謄本を見たのは・・・
今から8年程前、私がパソコンを習い始めて4ヵ月目くらいの頃、当時書道をやっていた父が墨で長い半紙に書いていた父の実家の家系図を見せてくれた。
そして、なんと父は、半紙では大きすぎるからパソコンで家系図を作れないかと私に頼んできたのだ。
頼まれたせいもあるが、私は自分のルーツを知りたくて、ぜひ作りたくなり、まだ未熟なパソコン技術だったが、私は家系図制作に夢中になった。
父は過去の戸籍謄本をずっと集めて保存していたし、江戸時代には過去帳と呼ばれるものが戸籍のようなものになっていたことも知り、先祖の記録もよくわかった。
私はそんな時代まで遡って、膨大な時間を費やして父の実家の家系図や、母の実家の家系図、ついには夫の実家の家系図まで作った。
家系図が完成したのは、作り始めて半年くらい経っていたかもしれない。
又、そういうものを作りたいと思った動機は、当時もっとせっぱつまった大きな理由があり、そのために他の方々の協力もお借りして勉強したことも有意義だった。
そして、自分というものがどういうふうにして誕生したのかを知ったのだった。
こんなにいろんな人の命を受け継いで私という人間が誕生した。
私が知らなかった先祖たちの過去が家系図にきちんと記されていた。
戸籍謄本とは命の歴史、その人の生き様をあからさまに表すものであり、本当に重い尊いものであるとその時思い感動したのを思いだした。
私は、今回は家族の出生日と届日を見たり、結婚届日を確認したりした。
私は出生の4日後に父が私の出生届けを役所に出してる、私の長男は出生の6日後に夫が出生届けを、次男の時は9日後と遅く出してる、なぜだろう?とか、私が結婚記念日と思っていた結婚式の5日後に夫は結婚届を出していたんだなとか。
そんなことで待ち時間を稼いでいるうちに自分の番号札の順番が回ってきて、書類を確認してしっかりと手続き完了、実際に厚生年金が出るのは50日後に年金証書が送られてきた後で6月頃かな?と言われた。
年金事務所を出た後は自分が今までと違う自分になった気がした。
過去に59歳で病気で亡くなった友達が私にはいる。
彼女は年金をもらうどころか手続きすら知らないまま死んでいったのだ。
そう考えるとこうして生きて人生の勉強をまださせてもらってる私は幸せだと思った。
そして私には、先日私に保険をかけてくれた親もまだいる。
私はまだ両親に守られている、恵まれている。
NPOのパソコンの仕事も、趣味のコーラスも、いろんなことがあるが、これからの私は生き方を変えていこうと思っている。
どんな風に・・そうだな・・・
簡単に言えば私の場合はもっとずるくなってもいいかなと思う。
辛くなったら考えない、ほおっておく、別なことに神経を向ける・・・
合わないものを無理に合わせようとしすぎない。
なぜなら無駄な努力は自分を疲れさせる、だから手を抜くというかサボるのも大事。
結局は自分を大切にすることが一番大事なのかもしれないな。
そうしたら人にも寛容になれそうな気がする。
60代は実りのある整理をしていく大事な時期な気がしてきた。。