「皆さん、いつものお薬飲んできましたか?私も自分が60歳になるなんて思ってもみませんでした・・・」という私の幼馴染の彼が幹事として挨拶したところから始まった。
受付で渡された高校の卒業写真をスキャナーしてあり、旧姓と現姓を書き込んだネームプレートを首から下げさせられ、苦笑。
かれこれ4年ぶりかな?
私は前列の左から二番目。
前回は9月の初めで人数もさほど多くなく、こじんまりとした和やかな会だった。
今年の年賀状に幹事の男性から今年はいよいよ還暦祝いでなんと6月4日(土)と決まっていた。
近くなって申し込みが来て、私も申し込み、その後参加者名簿が再びハガキで来た。
我クラスはもともと総勢50名だが、文系クラスなせいで、もともと男子は18名しかいないが、その中で出席者は男子が4名、女子が16名、担任の男性教諭1名で21名の出席となった。
そして、今まで一度も来たことがない人が3名の女子で、これは楽しみだった。
元々、我高校は公立の進学新設校で、私達の学年は8回生で、私達の学年が3年の時に創立10周年を迎えたという出来立ての期待された高校だった。
市内でトップの高校を追いかける学校として、大学進学率を上げるために学校が一丸となって生徒を叩き上げていた時代の生徒であった。
一学年が10クラスあり、元々理数科はあったが、2年生になった時、普通科の内の1クラスのみが就職クラス、残り8クラスのうち、国立文系、私立文系、理系と分けて、その中でもさらにトップクラスというのを選抜して作った。
私の所属するクラスはその国立文系のトップクラスで、学校全体から注目されたクラスだった。
あの当時は、一期、二期という大学受験だったが、我クラスは国立大学合格者はクラスの半分くらいはいたと思う。
そんなクラスに来た担任が私達よりも12歳程しか違わない某有名私立大卒の独身の若くて元気な小柄な男性教諭だった。
彼は私達のお兄さんのような近しい存在だった。
そんな担任が私達が3年の時だったか、結婚した。
出来上がった曲に、さらに先生の新婚旅行シーンまで想像してシミュレーションして、まるで漫才のように奥様役と先生役で会話を作りテープに吹き込んで担任にプレゼントした。
それはもう、担任が感動したことは言うまでもなかった。
そして、その後40代にクラス会の時にそのテープを担任が持ってきて皆に聞かせてくれた時は、あまりにも若々しくきれいなかわいい声だったので、「これ、俺たちの声?!」って皆で感動し、作詞作曲した男子は感動してタオルで涙を拭いていたのを覚えている。
そんな作詞作曲の痩せてた彼は、今回は白髪のふくよかなおじいちゃんになっていて、今は学校の校長先生を退職して孫の相手をしてると話した。
皆が一人ずつ自己紹介していく中で、女子はやり手が多いと思った。
元々我クラスは女子が優秀だったのだが、ある仕事をした後で社会人になってから専門学校に入り資格を取り20年プログラマーをやった後、どういうわけか、今度は占いの勉強をして今は新宿で占い師と言う独身の女性。
バツ二独身で、今は鹿児島で海外援助NGOの理事長やってる女子だったり、これもバツイチ独身で事業を起こして音楽関係の仕事してたり、独身で喫茶店経営してたり、息子が優秀で東大出て弁護士やってたり・・・
後は、小中学校の教諭退職して、これから何をしようかと迷ってた人いたり・・・
男子も校長先生退職後再任用だったり、介護の仕事してたり、でも独身で母親の介護で仕事もままならずとかの人とかだった。
私などは主婦で、たいして自慢できるほどのことはないのだが、先日までNPOパソコンの仕事をした話を少ししたが、今は時代も変わったから辞めたとごまかして、今はおかあさんコーラスをやってる話をしたが、それぞれ皆自己紹介が本当に様々で面白かった。
さて、担任はこのクラス会に御呼ばれしたとき、嬉しくて、忘れちゃいけないと思い家じゅうのカレンダーに全部丸印をつけたのだとか。
そしたら、奥さんに「あんた全部のカレンダーに○つけるの辞めて頂戴」ってあきれられたそうな・・
しかし、そんな担任を困らした大事件が過去に実は我クラスにはあるのだ。
それは3年生の卒業試験をクラスの半分以上がサボったと言うものだ。
何を隠そう、私もその一人だった。
今回誰かが言った。
「あの時さ、卒業試験なんか出なくてもいいんだよ、家で受験勉強してる方がいいもの、卒業試験なんかに出る奴は裏切り者なんだよ」って脅迫めいた話が飛び交ったそうな・・
私には脅迫はなかったんだけど、私自身があの時は追いつめられていて、卒業試験なんていう生ぬるい勉強をする余裕がなかったので、サボることは当然と勝手に思っていた。
そして、結果、うちの若き担任は上司からものすごく怒られて、学校で大変な立場になったと聞いた。
なんたって、無断欠席で卒業試験サボったのだから、私には担任から家の母に電話がかかってきて、「風邪でしょう?欠席届を出して追試を受けるように」と言う伝達だった。
難しい受験勉強と簡単な卒業試験を天秤にかけてまで罪の意識がないほど私達は大学に受かることしか考えてなかったのだ。
皆一応追試で卒業試験は合格し、本当の大学入試も皆うまい具合に合格者が我クラスは多かったので、担任のメンツを保てたのは幸いだった。
こんなどうしようもない、我儘で出来の良いかわいい私達なので、担任の先生は私達というクラスの生徒たちは、長年の教師生活でも特別な存在なので、一生忘れられない絆であると言うことなのだ。
さて、お決まりの写真撮影を始めた頃、又してもアクシデント
何と、幹事の男子のデジカメのバッテリーが壊れて映せないこと判明。
「誰か、デジカメ持ってない?~」って叫んだところで誰も持ってきてない。
これでは、何の記念も残らない、まずいじゃん~
私はとっさに夫に電話してみると提案し、夫に家からデジカメを持ってきてもらい、彼のと私のSDカードを取り換えて、私のカメラで撮影してめでたし、めでたし!!
やれやれ、参ったなあ~でもよかった、我夫に感謝だぜ~
風邪気味だった私は食事はあまり喉を通らず、焼酎の水割りがのど越し良くて、飲んでいた。
実は私にはこのクラスメートの男子の中に小学校から大学までずっと同じクラスだった男子がいて、彼が先生になった後も、偶然コーラスの二次会で行ったスナックがうちのコーラスのメンバーが経営するところなのでよく一緒になったり、最近はコーラスのメンバーの一人が彼の学校のPTAの役員だったりと何かと縁は尽きない。
今回も、彼の親御さんが亡くなった経緯から、私の家の話もしたり、パソコンのNPOの愚痴聞いてもらったり。
小学校の校長だった彼は小学校の女の先生方の人間関係なども良く把握してるので、いかに女性が本音と建前が違うか、ずるいかよくわかると言った。
私は「私はそういう女とは違うよ」と言い、彼も私の悩みだった部分に同情してくれて話が盛り上がった。
皆に「私達幼馴染なんだ~、ずっと仲いいよね~前世から何か縁があるんじゃないかと思う」と私が言うと、彼は「良く結婚しなかったよな、前世夫婦かもしれないじゃん」と言った。
そんな私達を見て、担任も「今も仲いいじゃん」と笑って早々に帰って行った。
あっという間に一次会は終わってしまい、二次会へ大抵行って、そこでもその幼馴染の彼と「昭和枯れすすき」とか「ガッチャマン」とか「AKBの365にち」とか、歌いまくり、盛り上がった。
彼は声もいいし、歌もうまいのでコーラスを勧めたが、ウォーキングと晩酌が趣味で夜は出たくないとか。
そのうち大学の同窓会もやろうと誘われた。
弘前、仙台、東京、鹿児島と様々なところから来てる独身女子らは一部ホテルへ、幼馴染の彼と女子3名とでしつこくも私のコーラスのメンバー経営のスナックへ三次会。
話は尽きず、なんと夜中の二時半になって、名残惜しくもそれぞれのタクシーでさようなら。
今度会うのはいつだろか
でも、幼馴染の彼とはまだ会う機会は結構あることだろう。
男女でありながら、こんな友人は珍しいと思う。
実に気さくで気を使うことなく本音語れる彼と、もう一人の幹事の彼もいい人でこれから彼の仕事が介護なので世話になることがきっとあるような気がする。
同級生の温かさ、こんな歳になっても会える幸せさ、有難いことだと思った。