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カテゴリ:私生活
今週月曜日、熟女三人の久々の食事会が終わった。 いいお天気の日で我が家に「うつぎ」の白い花がたくさん咲いていた。 このお友達とは市のセンターでの着付け教室で10年程前に知り合って今まで繋がってきた人たちだ。 土曜日にKさんから電話があって、「月曜に食事三人でどう?」と。 もう一人のNさんに連絡したらいなかったので留守電入れたら連絡がきて、日曜の昼過ぎに行けると今までになくスムーズに決まった。 私は自分の出演するコーラスのチケットを彼女らに郵送すると、二人とも必ず電話で連絡が来て観に来てくれ、来れないときもお礼にお菓子を届けてくれて話す機会をつないできた。 でも、3人同時に会うのははっきり言って数年ぶりなのだ。 Kさんは、理容院の奥様で夫婦で経営してるので月曜日しか休みが取れないのが大きな理由だったけど今回はKさんから急に電話で食事の誘いがあったことで決まった。 一方Nさんのほうは、最近リュウマチの悪化で月曜日が通院日とあって、今回は奇跡の三人の再会だった。 この人たちとこうして未だに縁が続いていることに感謝する。 着付けで知り合った頃、月1回程度のランチ会をやってはいたが、私のほうが月曜日に合わせるのが窮屈になったので一旦は会わなくなっていた。 でも、そのあと数年の間に私はパソコンを習い、やがてそのスタッフをやるようになり、その途中で昔やっていたコーラスも再開するようになって、チケットを彼女らに送るようになった。 しかし、私は昨年の3月にパソコンのNPOの仕事を辞めて、今年の3月にはコーラスを辞めた。 どうしてこうなったのか・・・ 今ではこれは最初から仕組まれていたような運命だったのだと思っている。 しかし、コーラスを辞めたことについてはKさんは特に残念がった。 彼女は学生時代にブラスバンド部でクラリネットをやっていたり、現在も三味線を習っているという音楽好きな人。 一方のNさんは昔学生時代にコーラス部にいて、第九にも一度出演したことがあったという、これも音楽好き。 でも、これらのことを不思議な事に私がチケットを送るようになって初めて知ったのだから縁は最初からあったのだと思う。 なんといっても私たち三人の共通点は裏表のない正直な人間であり、人に対する思いやりに溢れているのだ。 食事はあるホテルの和室のランチで午前11時半からだった。 だから今回の再会は私の複雑怪奇なコーラス引退劇の話で盛り上がった。 食事の内容は健康食で麦飯、とろろ、天ぷら、豆腐、野菜・・・などのわりとあっさりした懐石っぽい感じで、デザートの果物の寒天寄せ、コーヒー。 というか、食べながら話すのって結構難しい。 二人はコーラスを辞めた理由を聞きたがるわけだから話す私が食べる時間がないわけで、食べるとしゃべる内容が途切れるし、忘れるし。 でも「それで?それで?」って聞かれると私もどんどん話したくなってしまい、いつしか二人は完食、私一人だけがほとんど食べてなくて急いで食べ終えながら話しまくるという何を食べたのかという感じで。。 私の話を聞いて、Kさんは「あなたはなんでもできるから多分皆うらやましかったんだよ、それはつまり・・ねたみ・・」と言った。 かつては洋裁でドレス作り、パソコンを習得してからはその技術をフル活用。 庶務の役員に適任とされて、切符の手配やら司会やらまで代表は人をこき使うのがうまい。 ピアニストの結婚式の時の電報も前日の夜に代表から電話で「忘れていたから打ってくれない?」と言われ、私が電話局に電話してネット検索しながらギリギリで間に合わせた。 昨年の演奏会のプログラムのデザインも絵を描いていいだけデザインさせてから会から予算がないと言われ、「それでは私は退くから印刷屋にデザインしてもらえばいいでしょう」と言うと、「印刷屋のデザインはありきたりでつまらない、あなたのデザインを使いたいからお願い」と言われて「それならお金をいただきます」と交渉しなければならないほどのずるさ、その他いろいろ・・・ 私はいつでも自分のできることはできるだけ誠意を持ってやってきた。 しかし私自身は時間とお金をかけて努力してきたことばかり。 だが、“いろんなことができる→尊敬→うらやましい→ねたみ→いじめ”へとなるようだ。 我コーラスの代表はメンバー皆の勢力を自分の元に集めるのを確実にするために自分を最大にかわいそうに演出して応援団を作るのが最高にうまい度胸の良さ、目立ちたがりが天下一品。 代表はまず、総会の日の前日に愛犬が亡くなったと同じ愛犬家の同情を集め、代表を降りると言い、結局は皆に止められて続けることになり確固たる権力を得た。 指揮者も女の合唱団で男一人であるのと彼の性格も元気で明るく屈託なく常識ないところが代表とマッチしてるお陰で、やとわれ指揮者の彼はいつしかここを自分の支配できる合唱団と勘違いしてきてるようになっていった。 私は元々この会には出戻りである。 かつて私が入った頃は、指揮者は自分中心になって代表他の我コーラスメンバーの3名を入れた別なアンサンブルグループも作っていた。 そのことは会の和を乱す元になり傷ついたメンバーがいて辞めた経緯がある。 私もその辞めたメンバーと仲が良かったので共に辞めたかったが若かったのですぐにはできず、我慢してたが10年ほど前に一度この会を辞めた。 再度入会したのは歌を又歌いたくなった私に別なメンバーの長年の熱心な誘いに負けてしまったから。 練習が終わった後は代表は毎週指揮者や取り巻きの連中とランチで噂話を続けていて、次の代表になろうとしてるきつい性格の私の大嫌いなやつといつもつるんでいる。 本当のところ私は代表が屈託がないのか、ずるいのかわからない。 私と個人的に話しても嫌な気持を味わったことはなかったのだが、どういうわけか、彼女のずぼらな間抜けな常識はずれな言動には納得いかず、この人と私の思考回路は合わないと思うようになり、それに合わせられる人にも腹が立つようになっていったのだ。 しかも、コーラスというものはメンバーがパートがきちんとそろわなくてはいけない。 そろっていなければ隣のパートを助けなくてはいけない。 昨年の東北大会は仙台に行ったが、メンバー不足で歌は助けなくてはいけなくて大変だったし、新幹線で旅費はかかったし。 それなのに、「東北大会旅費補助費」という名目の会の予算があったが、東北大会に参加しない人にまで一律にお金を渡したのだ。 メンバー皆も異議なく、行かない人も嬉しそうにお金を受け取ったのだ。 「こういうふうに皆に一律に分配するっていう考えは共産主義だと思うんだけど」と私が言うと、Kさんも「そうだ!」とうなづいた。 実は代表は日教組の人の集まりの合唱団の指揮者もやっていて、教祖様扱いとのことなので“なるほど”であった。 何かの行事があるたびに打ち上げの宴会があり、行かなければ仲間はずれになるから行くし、自分でもそのときは楽しいが、二次会にはメンバーの中に元代表のスナックのママがいるお陰でいつも手をこまねいている。 もちろんその彼女もランチ組で今の代表を批判しながらここに院政をしいている。 しかも彼女の店の客がそのまま我コーラスに広告を出してくれるスポンサーなのでたちが悪い。 こんな問題のある団体がどこにそうあるだろうか! 私はそれでもずっと歌が好きで我慢して自分の居場所をつくろうと頑張ってきたのであった。 以前のブログにコーラスを辞めた理由を書いたが、結局は、 “ここにこのままいたら自分は大事な自分のエネルギーを吸い取られてしまう”と思った。 コーラスのメンバーのほとんどは孤立したくないために心にもなく人に従ったり嘘をついたりして群れている、だから平気で人を裏切ったり陰口を言う。 虚勢を張った生き方は自分を疲れさせ、結局はボロボロに自分を追いつめるだけだと私は思った。 自分のいる場所はもっと別にある、いや必ずみつけてみせる。 KさんもNさんも私の話に賛同してくれて、私が話すたびに「それってなんなの~おかしいわ~!」「女の世界は難しい、嫌だね、よかったじゃん辞めて!」って言ってくれた。 彼女らは二人とも娘さん二人を持ち、私のように男の子を持っていないせいか、孫ももうすでにいる。 Nさんは今年の3月に二番目の孫が産まれたと言い、孫がかわいいというのをしみじみ感じるようになったと言っていた。 しかし、正直私には孫のかわいさはわからない。 私の母に聞くと、娘の産んだ孫は手をかけやすいけど、息子の孫は嫁が産んだ孫だから遠慮して手を出しにくいという。 しかも私の弟の子は自閉症という発達障害があるので全く普通の子と成長が異なる。 そんな話を彼女らにしたら、発達障害に対しての知識は皆無の彼女らは自閉症をダウン症と勘違いしているようだった。 私の場合は従弟にもそういう人がいたり、自分の子供たちも一時構音障害で発音指導を受けに書き方の時間などに特別支援学級に通ったことがある。 当時は「ことばの教室親の会」に入って、その子供たちの親との交流があり、親の会の役員をして県大会にも参加したことがあったり、テレビ出演もしたことがあった。 今は全くうちの子はそういったものは治ってしまって問題ないが、そういったことに触れて理解できた期間は大変貴重だったと今は思っている。 甥っ子の手紙は5年生でもひらがなだらけで、ことばは助詞がなくて、時計もろくに読めなくて、この先が心配である。 そんなことも全部含めていろんなことを経験して、いろんな人と出逢って付き合うことは、いろんな考えを知り、そうすると当然自分は傷つくこともたくさんある、でもその分自分は必ずどこかで成長しているはずだ、そう信じてめげずに新たな挑戦をしたいといつも思っている。 何ヵ月か前に長年使ってきたパナソニックのCDラジカセが壊れたので気になっていたが、なんか無償に欲しくなってしまい、機能性もよく、レビューの評判がいいのが気に入り、新たなソニー製品をアマゾンで購入した。 購入時から1週間後に16,478円だったのが15,968円に値下げになっていたのは悔しかったけど。 今の製品はSDカードを入れられてテープやCDやラジオから録音ができるのはびっくりした。 全く新しい製品がこんなに進化してるのを私は知らなかったのだ。 もちろん、マイクも挿せるし、ヘッドフォンも挿せるし、リモコンもついている。 私は久々に昔の古いCDを聴いてみた。 リチャードクレーダーマンのピアノ曲「渚のアデリーヌ」など・・・ それから段ボールを探して、昔のうちの息子たちの幼少時代のピアノの発表会の時の録音テープをみつけたのでかけてみた。 でも、コンサート会場で録音できるものを当時持ってなかったので家で本番近くに必死に練習して録音しておいたものだった。 次男の曲の中で6年生のときので「スクエアダンス」が気に入った。 あんまり器用でなかったので上手とは言えずリズムが時々狂いながらも、初めてペダルを使って演奏できていて楽しかった。 なんども繰り返し弾いていて、最後に私との会話が入っていたので「あれ~!」と聞き入った。 私「・・・○○ちゃん、また発表会出たいですか?」 次男「・・・いや~だ」 私「どうして?うまかったよ~」 次男「・・・」 私「じゃお金あげたら出る?」 次男「う~ん」 私「いくらだったら出る?」 次男「1万円~」 であった。 しかし、次男の演奏会はこれが最後であった、いい記念となった。 なんといっても次男の子供の時の声がちょっと声変わり気味で可愛くて懐かしかった。 ちょうど次男が帰ってきたので自分の6年生の時の演奏を聴かせ「これお前が弾いたんだよ~お前上手だったよ~聴いてごらん」て聴かせたら面白そうに満足げだった。 ついでにその後長男の5年生になる前の春休みの演奏会の練習が入っていた。 曲は「トルコ行進曲」 これはリズムもよく軽やかで和音もきちんとしていてさすがに器用だなと思った。 昔から絵を描いても、粘土細工やブロックやプラモデルなどとにかく手先器用な子であったものなあ。 そこでいい気になって1年生の時の初めての長男の練習曲「ほらあの山に」を聴いたら、なんか間違いが多くて最後に私の長男を叱る恐ろしい声がたっぷり入っていて鬼母だった。 長男は一言も口答えもせず、感心だった、お母さんきつかったね (*´Д`*)ごめん。。 つまり、人それぞれ皆違うってことは確かであるとよくわかった。 子どもに教わることのほうが本当はずっと多いんだね。 そこが子供が大きくなっていなくなって母親の役目終わると女は少女に戻るのかも? 孫と子供は絶対違うと思うけどな。 わからないけど孫は可愛いいかもしれないが、多分本当に切ないほど愛おしいのはいくつになっても絶対子供のほうに違いない気が私はしている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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