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カテゴリ:私生活
町内の回覧板に市の保健所から最近このような注意文書があった。 糞尿被害に遭った私としては当然と思う。 野良猫は野生動物と割り切る、餌を一度でもあげたらもうあなたは飼い主、言い訳は見苦しい。 私は猫はかわいいと思っているが飼えないので、心を鬼にして、餌は一粒もあげないことにしている。 野良猫の糞尿被害に苦しみ、近所トラブルになり、トラウマになってしまった私としては、保健所の文書に感謝である。 野良には野良の世界がある。 自然に産まれたなら自然に生きて死ぬのが定め。 人間がたかが何匹か保護したとてきりがない。 去勢や不妊手術したとて自然界で生きるには残酷だ。 それに動物なのだから食べたら糞尿はする仕組みゆえ庭などの被害は絶えない。 そこまで考えて、さらに自分の歳や経済状態を考えたら餌やりは安易にできないはずだ。 私は2018年、野良猫の糞尿被害でかなりの被害を被り、餌やりの相手に注意したら逆切れされたことがあり、過去のブログに書いた。 「餌やりは私だけじゃない、少ししかあげていない、猫糞など何も汚くない、あんたの花の花粉のほうが問題だ!花全部片づけろ」と餌やり住人の夫婦は揃って私を恫喝して、野良猫愛護の末に猫を保護して今は7匹に増えた、非常識、バカ者。。 そして、あれから猫除けセンサーを付けた我が家には猫はビビッて来なくなったので効果絶大だ。 夫は今年度は当番制の役員で、町内会の回覧物を町内会長から説明を受けて回覧する役目だ。 我町内は何十年も野良猫の糞尿害や発情期の夜中や夜明けのうるささに悩まされてきたが、ようやくこういう文書が出たのだ。 夫に聞いたら町内の誰かが怒りをぶつけて保健所からこういう文書が出たらしい。 私のように辛い思いをした人間がいたのだと思った。 これを読んだ向かいに住んでる餌やり夫婦はこのチラシは私の仕業と思うかもしれないが私じゃない。 でもよかった!私だけじゃなかった! 動物愛護と言うと聞こえはいいが、困ってる人がいる以上、実はかなり身勝手な行為なんだと本当に考えて欲しい。 さて、私はかなり久しぶりのブログ更新なのだけど、昨日めでたく誕生日を迎えた。 こうなってくると、早く国民年金をもらえる歳になりたいものだ。 考えてみると昨年の2019年には母の耳性帯状疱疹は、10月初めに病院から聴力検査の結果での診断書を書いてもらった。 ↓ すぐに市役所の障害支援課に行き、一か月の審査待ちとなる。 同時に補聴器屋に行き、発音検査、補聴器試用で補聴器の種類を決め、耳穴の型取り後、補聴器屋から情報提供と見積もりを市役所に出してもらう。 ↓ 審査待ちだった通知が11月の初めに福祉事務所からの障害手帳を市役所の障害者支援課で受け取った。(母は2種6級の感音難聴) ↓ 二週間後の11月初めに補聴器交付決定通知書が届き、それを持って補聴器屋に行き、無事補聴器購入。 母の補聴器は片耳だけだが、❝ここから選ぶように❞と言われた中から選んで 58,074円-52,267円で実質5,807円の負担金だった。 選ぶ種類は国で推奨し、補助するものなのであまり高額なものはよしとしないらしい。 それでも人により高価なものを買ったとしても多くても負担上限は30,000円で収まるらしい。 そんなことで忙しい中、私は母を美容院に連れて行かなくちゃと思った9月13日、思わぬ事故に遭った。 いつものように亀の水槽の水を替えたり花に水をやろうとして焦り、水槽(衣装ケースだけど)につまずいて前に大きく倒れた。 私は顏他いろんな部分をかばった結果前にのめって転び、左膝をコンクリートに激しくぶつけた。 もう一貫の終わり!!人生終わり…と天を仰いだ。 私は湿布をしてびっこをひきずりながら母を美容院に連れて行ったあと、ようやく整形外科に行った。 母の杖を借りて顔をしかめてびっこでいき、左足が打撲で腫れあがり、医者に触られても痛くて1ミリたりとも曲がらなく絶叫するほど痛かった。 CTレントゲンでは皿には異常なしだが、MRIでなくてはわからないと言われたが膝を包帯でグルグル巻きに固定して様子見となり、毎日痛み止めと湿布の日々。 布団は敷きっぱなし、ご飯支度や洗濯は立ち仕事なので私はやったが、夫に風呂掃除や買い物や亀の世話や花の水やりもすべてやってもらった。 階段は最初はお尻で上り下り、そのうち片足ずつ上り下り。。 そうこうしてた一か月後、次第に回復して膝も曲がり、腫れも引いて完治した。 万歳だった!! 第九の練習が8月末からあったので、かなり休んだが、10月には練習に通えて本番は今年も元気に歌った。 そうこうしてるうちに12月暮れになり、東京在住の弟から帰省願いのメールがあった。 母も大分回復してきたし、そのつもりで家族連れなら二泊程度にと伝えた。 それなのにだ! 母は今度は尻餅を激しくついて、とんでもなく痛がり、夜中にうなって騒ぐほど大変になった。 今度は母を整形外科に通わせる羽目になった。 骨粗しょう症である。 血液検査の結果はカルシウムが尿と一緒にかなり出てしまってる数値で、骨密度もかなりカスカスの骨で、転んだら最後寝たきりになると言われた。 肩に骨を丈夫にする注射を週に一度12回と、腕に痛み止めの静脈注射とを、今年の三月まで続けることになった。 弟にそれを伝え急遽帰省キャンセルを願い出たら、家族連れではなく自分一人だけいいか?と言う。 ああ、やっぱりそう来たか!って思ったけど、弟と父と二人でご飯支度するならと言う条件で母は良しとした。 そして、年明けの1月17日に弟は帰省した。 ところが、これも又、弟の甘さだった。 弟は仕事で疲れて休みたいから一週間くらい休むつもりだと言った。 しかし、先日免許更新してもうじき92歳になる父の運転で、弟と父と二人で二日に一度買い物に行き、料理や片づけは大変だったらしい。 私だって我が息子が今年転職し夜勤などのシフト制なので弟になどかまっていられないのだ。 少しだけ料理を手伝ってあげたけど・・・ 我弟は映画の美術関係で先日数々の賞をもらったと喜んで、社会的には認められている仕事をしているけど、個人的家庭的にはかなり常識のないガキとしか言いようがない人間である。 今回は、親の生活を目のあたりにできる「百聞は一見に如かず」のいい機会だと思った。 弟の滞在期間は一週間という長いものだった。 最後の日の夕方、父と弟の激しい諍いがあった。 つまらぬ理由だと私には思われた。 年寄りで気ままな生活をしてればよくある食べ物に対する父の態度がみっともなく感じた弟が父を毛嫌いして「さもしい」と言う言葉を使って侮辱した。 父は夜も眠れないほど悔しかったらしく、次の日の朝に弟に親子の縁を切るとまで言ったらしい。 普段年寄りと暮らしてない弟は一週間の間両親の態度をずっと観察して、失望したらしいのだ。 私のように免疫ができてないのと、親と住んでない自由気ままな核家族生活をしてるからわからないのだろう。 自分を褒めてもらいたい、認めてもらいたいというところが親子でお互いに同じでぶつかるようになってきたのだ。 私は最後の日夜遅くまで弟と酒を飲みながらいろんな話をした。 幼い頃からの思い出話から経験談、人生論、いろいろね。 姉の私のほうが弟より先に生まれているので私のほうが記憶が多いもの、かなうわけないだろ。 弟は「もう限界だ」と言い、父も母に同じことを言ったらしい。 我慢の限界ってことらしい。 弟は実に24日まで丸一週間滞在した。 そして「もう来ない」と言ったはずが、私には「次は夏に家族で来る、多分ホテル泊まりになるだろう」などと言って夫に駅まで送られて帰った。 ❝実家というものはいつまでも自分が羽を休めに来るところではないのだよ❞と弟に理解させることができた貴重な一週間だった。。 さて、私はと言えば、年明け早々スマホを購入した。 第九演奏会で写真を撮ったものの相手がスマホで私がデジカメなので写真の送り合いに困ったのが購入のきっかけ。 今では、スマホ教室も利用したりでLINEもできるようになって、毎日楽しんでいる。 2026年まででガラケイが終わるとなると歳取ってから新しいことを覚えるよりは今のうちって感じ。 今はLINEの相手は友達一人と息子と弟くらいだけど、距離感が近くなっていいかもしれない。 幼稚な弟が年相応になってくれることを祈っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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