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もしかして、今年度初めての更新?
あけましておめでとうございます(苦笑) もう、三月なのにね。 どうなのそれって。 さて、昨日ここを見に来てくれてるお客さんに 「最近、全然更新してないな~」と言われ、とある話を書けと 催促されたので(苦笑)書かせていただきます。 去年の12月18日、私の実の父親が亡くなりました。 享年54歳・・・早すぎる死でした。 元々、病気がちで病院通いをしてた人だったんだけど やっぱり早すぎです。 まだ、普通に仕事もしてたし。 本当に突然だった。 亡くなる前日、弟や弟の友達とわいわいと楽しくお酒を飲んでたらしい。 いつもとなんら変わりなく、調子が悪いとかそういうこともなく。 私が店から帰ってきたとき、弟たちはまだ飲んでた。 父は茶の間でいつのもように寝ていました。 寝息をたてて、いつものように。 酔うと、茶の間で寝てしまい、夜中に目を覚まし自分の布団に 入ってねるというのは、父の習慣。 「風邪ひくから布団に入りなー」と声をかけて私は部屋に戻った。 それが、生きてる父を見た最後になりました。 弟たちが自分たちの部屋に戻ったのは朝方の4時頃。 父はまだ寝ていたので弟が「布団に入れ」と声をかけたら 返事をしたそうです。 で、朝6時半頃、母が起きたとき、父はまだ茶の間で寝ていたので 声をかけたときには、もう・・・。 その日の朝は大変だった。 母は、半狂乱のようになってた。 私はなにがなんだかわからないまま、救急車呼んで!とか 弟や母に指示してた。 妙に冷静だった。 信じられなかったから。 父が病院に運ばれてちょっとしてから、私と弟は病院に行った。 「午前8時8分ご臨終です」と先生に言われたとき 膝が抜けたようにその場にしゃがみこんでしまった。 泣くになけない。 現実味が全くなかった。 死亡原因は、心臓。 なんらかの理由で急に止まってしまったんだろうと いうことでした。 詳しい原因を調べるには解剖しなきゃいけないらしく 亡くなってまで痛い思いをさせたくなかったのでそこまではしなかった。 元々、心臓が弱い人だったから、なにかの拍子に止まってしまったのだろう。 先生は「苦しんだ様子はなかった」と言ってたのが救い。 でも、隣の部屋で母が寝てたので もし、少しでも苦しんでたら母が起きて助かったかもしれないと 思うと・・・。 お寺の都合でお通夜は二日後になった。 亡くなった日とその次の日父は家にいた。 普通に寝てるみたい。 顔の白い布がなければ。 今にも「勝手に殺すな」と起き上がりそうだった。 綺麗な顔。 大人になってから初めて父の顔に触れた。 久々に触った父の顔は冷たかった。 時間がたつうちに悲しみがこみあげてきた。 声をあげて泣いたのは二日目の夜だった。 お通夜は想像以上に人が集まってくれた。 私の友達なども来てくれて心強かった。 家では傍若無人で俺様な父だったけど 周りの人には慕われていたんだなぁ・・・と思った。 父の偉大さを初めて感じたかもしれない。 気付くのが遅かったけど。 告別式が終わり火葬場へ。 父の体がなくなってしまう。 なくなったら、もう帰ってこれないよ・・と 悲しみというよりあせりを感じた。 まだ、実感がなかったから。 まだ、生き返るかもと思ってた面があったから。 でも、そんな願いも叶えられず 父は小さい箱に入って家に帰ってきました。 あれから、三ヶ月。 だいぶ落ち着いたけど、まだ実感があまりない。 元々、そんなに顔を合わせてたわけじゃないし。 仏壇の前の写真を見ると不思議な気持ちになる。 実感がないけど、こうやってあのときのことを思い出すと 涙がでる。 実感がなくても、認めなきゃいけないから。 生きてるとき、私は父が嫌いだった。 今時珍しいくらい亭主関白で、わがままで自己中で 子供のことを全くかまってくれない冷たい人だとずっと 思ってたから。 嫌いだったけど、愛されたかった。 父に愛されてる実感がないまま育ってきたから。 愛されたかったし、好きになりたかった。 いつか、父に「私のことを愛していますか?」と 聞きたかった。 もう、それも叶わないけど・・・。 私ができた親孝行は孫を産んだこと。 父はすごく可愛がってくれてた。 私の友達の夢に父が出てきたらしい。 「姫のこと頼むな」と言ってたらしい。 しかも、2人からそういう話を聞いた。 嘘か本当かわからないけど 単純に嬉しかった。 もしかしたら、父は私のことも孫を想うように 想ってくれてたのかもしれないと思えたから。 今、父はどういう風に私たちのことを見てるんだろう。 もしかしたら、下界のことなんて気にもせず 先に亡くなってるじいちゃんやばあちゃんと思い出話に花を咲かせてるのかも しれない。 先に亡くなってる友達と飲みながら麻雀をやってるかもしれない。 それもよし。 少し、休んだほうがいい。 もう少し落ち着いたら私たちのことを上から見守ってほしい。 失敗も多いと思うけど一生懸命生きてくから。 ~後日談~ あとになって笑えたり不思議だったことを(苦笑) *亡くなった朝、弟が救急車を呼ぶとき 「救急車一台お願いします!」って頼んだこと。 タクシーじゃないんだから(笑) *救急車が来る前に「人工呼吸と心臓マッサージをしてください」と 救急隊員の人に言われたとき母が 「ちょっとあんた、人工呼吸してよ!」って言うから 「私が心臓のほうするからお母さんが人工呼吸して!」って言ったら 「だって、私トイレに行きたいんだもん!」って言われたこと。 やっぱ、生理現象には勝てないよね・・・と。 で、実際やったら口もつけないし、鼻もつままないで上から 一生懸命息を吹きかけてたし(苦笑) 後日「だって、ちょっと抵抗あったんだもん・・・」だって。 冷たい女だ(笑) *救急車を呼んだ後、ひっきりなしに電話が鳴った。 出ても何も言わない。 弟は無音だったっていうけど、私が出たときはサイレンの音がした。 最終的に電話線を抜くまでずっと鳴り続けてた。 あれはなんだったんだろう・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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