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カテゴリ:小町
今日、早朝、実家の猫『小町』が永眠しました。
10日前位から食べ物を口にしなくなり、 一昨日、会いに行ったときは既にビックリする位やせ細っていましたが ヨロヨロ頑張って一生懸命トイレに行ったり 水を少し飲んだりしていました。 朦朧としていたみたいに見えたけど それでも私が「小町、ねえちゃん、来たよ~」と言うと 小さく1ツ返事をしました。 約18年半前私が実家の庭で見つけ捨てられていた子猫を見つけて 「誕生日プレゼントは要らないから」と言って飼う事になりました。 名前は三毛猫だから和風に『小野小町』から貰って 「小町」と名付けました。 「小町っ」と呼ぶと小さく口を開けて目を細め 尻尾を少し振って返事をしました。 私が大きくなって、東京に行ったり海外に行ったりして 何年も実家に帰ってないのに私の事をちゃんと覚えていて 帰って来ると必ず大きな声で泣いていつもはこない玄関まで 私を迎えに来てくれて何とも言えない程嬉しかった。 猫を飼う前は、『猫は少し会わないと忘れてしまう動物』と 思っていた私は小町が来てから益々、猫が好きになり そして小町をとても愛するようになりました。 小町 食いしん坊で、蟹蒲鉾が大好きで、刺身が大好きで 私達が食べるもの何からなにまで欲しがって キムチウドンや、札幌1番味噌ラーメンまでも 私達の箸から上手に食べていた。 私達が盆正月等で小町を置いて出かけると決まって怒って マットレスをグチャグチャにしていたり、 何故か1階の棚に置いていたキャベツを2階に持って上がっていたり、 仏壇の餅を齧っていたりして大笑いさせてくれた事も有ったね。 テーブルに上がってはいけないとキツく躾けたので 絶対に上がらなかったけど家から帰ると テーブルに足跡がついていて、私達はその事に付いても よく笑った。 私のTシャツを隣のオバチャンの家に持って行ったり、 隣のオバチャンの靴下を持ってウチに持って帰って来て それらを、持って来てもらったり返しに行ったりしたよね。 そのオバチャンも小町を可愛がってくれたね。 一緒に住んでる頃、お腹が空くと朝5時に私の耳元で どんな目覚ましよりも大きな声で「御飯を早くチョウダイ!」と すっと泣き続けるんだ。だから起きて御飯を盛って また寝ていた。 家族が泣いてると、泣き止むまで傍に居てくれた。 喧嘩をすると間に入ってずっと聞いていた。 もう、この子は人間の言葉が分かるんだろう 「小町は私達が留守のときは、冷蔵庫も開けて電話も掛けてるよ」と よく母やユーちゃん(妹)と冗談を言っていたその横でも 耳をこちらに向けて、皆の話しを聞いていた。 「婆ちゃん~ばばあ~!」と言ったら怒って ユーちゃんを噛んだ事も有ったね。 弱いくせに気が強く、珍しく喧嘩をしていると思って見てみれば 相手が子猫だったり、ユーちゃんのことを、よく意味も無く叩いていた。 冬は寒いからと言って母の首の上で寝てソレを見た時 「お母さん窒息するでしょ!」と抱っこして他に連れて行くけど やっぱり優しく温かい母の傍で寝たがった。 ブラッシングが大好きで、してやると、いつまでも ゴロゴロと気持ち良さそうにし、 小町の「ゴロゴロ」と言う喉を鳴らす柔らかな音色を聞いていると 眠たくなってそのまま一緒に寝ていた。 小町の匂いが大好きで私が「フンフン」と おでこに鼻をくっ付けて匂うと少しイヤそうな顔をしながら 目をつむってたね。 小町の写真を何枚撮っただろう 元気な頃は帽子を被せたりして写真を撮るもんだから カメラを見せるとイヤな顔をしてた。 何百枚の写真があるのだろうか、、 デジカメを買ってからはもっと撮ったから 何千枚有るのかもしれないね。 ちゃんとアルバムにして整理をしなくちゃ。 でも今はまだ見るのが少し辛いよ。 18年間一緒に過ごした思い出が多過ぎて、まだ辛いよ。 小町を拾ったときは既に少し大きかったので 実質19歳位だったと思います。大往生です。 老衰で、苦しまずに眠るように亡くなり 私が妹から朝TELが有ってすぐ行った時も 少し痩せてはいるけど横になって眠ってるようないつもと同じ とても可愛い姿だったので、心残りも悔いも無いし 「ウチに来て幸せだったでしょ?だよね。小町?」と自信を持って 言えますが、 やっぱり実家に行ってももうあの声が聞けない 顔が見れないと思うと、姉ちゃんやっぱり寂しいよ。 でも泣かないようにするから、たまに夢にでも出て来てね。 ウチの子になってくれて有り難う。とっても楽しかったよ。 19年間本当に有り難う。 いつかまた会いましょう。さようなら大好きな小町。 小町。私が1番最後に撮った写真。 2008年3月18日 享年18歳 永眠。 昨年9月~12月撮影 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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