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shibu2003
8・90年代バブル真っ只なかは仕事中毒。今フテて経費削減大連隠遁。閑に飽かせて愚痴爆裂中w。海外現地情報ホボ無関係。まして不便な支那田舎旅。アホくさ、んなもんやるもんかぃ。
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皇室をお護りするために、一部に「廃太子」が望ましいという声すらある
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皇室のありかたに疑問
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加瀬 英明
● 東宮の動きに危機覚える
畏友西尾幹二氏が皇太子殿下をお諫めする論文を、月刊誌『WiLL』5月号(『皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます』)に寄稿している。
● 天皇が持つ摩訶不思議な力
天皇は日本が太古の時代に国家となってから、今日まで国民を共同体として束ねてきた。天皇は大八島国(おおやしまくに)を知(しら)しめす――治められる、すめらぎ、すめろきとして、日本を統(す)べてこられた。
その摩訶不思議な力をもって、わが国に継続性と安定をもたらしてきた。
もし、天皇に対する独特な民族信仰が存在しなかったとすれば、日本は隣国の中国や、朝鮮半島と同じような政治文化を持つことになって、まったく違った国となっていたはずである。
天皇は日本にとって、掛け替えのない貴重な財産である。
今上陛下の御健康が心配されている。そのようななかで、皇太子殿下と妃殿下が国民から不信感を招くようになっていることは、わが国の将来にとって由々しいことだといわねばならない。
まことに畏れ多いことであるが、皇室をお護りするために、一部に「廃太子」が望ましいという声すらあることを、憂えなければならない。
● 無私の精神と皇統から発する責任
もっとも、王制をとっているどの国をとってみても、皇太子にそのときどきの民族の理想の男性像にかなった教育が施されるものである。
昭和天皇は皇孫時代から、明治の日本の理想の男性像にあわせた訓育を受けられたから、あの明治の優れた精神を体現されていられた。明治の日本をつくった徳目を備えていられたことから、天皇の一挙一動が多くの国民に感動を与えた。
昭和天皇は歴史によって翻弄されたために、なみなみならない御苦労をされたが、何ごとについても真摯に取り組まれて、無私の精神に徹されたから、国民によって敬愛された。昭和天皇は皇統から発する御責任をよく弁まえられていた。日本の最高の祭主として、宮中祭祀も熱心に行われた。
今上陛下も天皇としての御役割を、見事におつとめになられている。天皇としての御役目を心得ていられるから、侵しがたい品格を備えていられる。
今上陛下も同じ世代の日本の理想の男性像を、現わされている。父帝と違ってお洒落(しゃれ)であられ、洋楽を好まれ、皇后陛下とときにはダンスを踊られ、家庭を大事にされるマイホーム主義者でもあられる。
● 世俗的に見える皇太子・同妃殿下のありよう
皇太子殿下も新しい世代の日本の男性の理想像の影響を、お受けになっていられる。新世代型の愛妻家でおいでになられ、皇太子としての御立場に顧慮されて、国民とのあいだに距離をお置きになるべきであるのに、妃殿下というよりも、御愛妻の期待にそうことに努めていられるように
拝察する。
今日の日本の男女は自分を共同体の一員として位置づけることなく、自己を中心に据えて、自分の欲望を充足することに人生の軸をおいている。そのために一族や隣近所や国家とのあいだの絆が弱まって、一族から国家社会まで支えてきた利他心が薄れているのは、嘆かわしいことである。
皇后陛下と皇太子妃殿下とのあいだには、30年近い世代の差がある。このあいだに日本の国民精神も、大きく変わった。
もちろん、皇后陛下は経済的にまったく不自由がない家庭にお育ちになられたが、それでも「手鍋下げて」嫁がれるという時代精神を、身につけられていた。このような言葉は、今日のあまり必要がない商品が溢れた日本において死語となってしまった。
敢えて不敬な言辞を用いれば、皇太子同妃両殿下は同世代の日本の一般の男女と、あまり変わらないようにお見うけする。
今日の日本の若い世代の夫婦は、親や家を大切にすることがない。同族を意味した「家」という言葉も、死語になってしまった。一族によって構成された家が、歴史を通じて重んじられたというのにいまでは家は住宅しか意味しなくなった。
私は30年ほど前に、ラジオのお喋り番組をもっていた。相手役の女性アナウンサーが結婚する相手に、「私はあなたの妻になりますが、嫁にはなりません」といったと聞かされて、暗澹としたことがあった。そのころから、多くの妻が夫を「主人」といわずに、「連れ合い」と呼ぶようになった。
● 衝撃的な皇太子殿下のご発言
殿下に今日の世相が悪しき影響を及ぼしたとすれば、われわれは臣下として恥じ入らなければならない。結局のところ、皇室という一大傑作である文化財をつくったのは、2000年近くにわたって、美しい国をつくってきた国民だった。
皇室のありかたを壊すことがあったら、靖国神社の社頭に詣でて、国体を護るために散華した御英霊にお詫びしなければならない。
私も月刊誌『WILL』(平成17年2月号)に、東宮殿下に苦言を奉(たてまつ)る一文を、恐懼しつつお認めしたことがあった。花田紀凱編集長が『皇太子殿下に敢えて諫言申し上げます』という題名をつけたが、『皇室 戦後最大の危機』という副題がそえられていた。
私は殿下が御成婚のときに、妃殿下に「自分がお護りします」と仰せられたことに、殿下が国民をよもやお信じになられないのか、私たちの不忠をお叱りになられたのかと思って、皇室をお護りすべき臣草の一人として、衝撃を受けた。皇室と国民の一体感が失われたとすれば、忌々(ゆゆ)しいことだった。皇国の歴史で歴代の皇太子がこのような発言をされたのは、はじめてのことだった。
その後、東宮殿下のお口から「人格」、「プライバシー」という御言葉を仰ぐことになったが、なぜ、高御座(たかみくら)をお賤しめにならなければならないのかと思って、慄然とした。殿下はその徳をもって、国民から超然とされていられなければならないはずである。
● 皇室は国民の鑑のはず
殿下が妃殿下をお護りになるために転地療法の場として、オランダまでお出かけになられた。国内に御用邸が用意されているうえに、風光明媚な多くの保養地があると思われたのに、両殿下が外国でなければ御心をお休めになれないと思し召されたのだった。私たちが八島国(おおやしまくに)の美称をもって呼ばれた国を、高速道路や、醜い高層ビルや、広告板によって汚してしまったことに、慙愧に堪えなかった。
私たちは「あきつ神わご大君(おおきみ)の天の下八州(やしま)のうちに」と、万葉集に歌われた秀麗な国を受け継いだはずだった。私たちが国土とともに、皇太子同妃両殿下の御心まで傷つけてしまったのだったら、何と罪深いことだろうか。
心やさしい民が住む国だったのに、金銭だけを追求する獰猛な民になってしまった。万葉集や、古今集がこの国の心を表していたのに、猛々(たけだけ)しい企業が株主総会を控えて発行する報告書によって、置き替えられている。
西洋にもベネディクションといって、よき言葉を発すれば、身のまわりの現実がそのように変わるという言霊(ことだま)信仰があるが、いまの日本にはマルディクション――悪しき言葉が充満している。
皇太子同妃両殿下が都内の高価な三ツ星レストランに行啓された御写真が、週刊誌に載っていたのを拝した。下情を御視察になられたのだろうと、お察し申し上げた。両殿下は笑みを湛えられていた。
国見をされて、贋物の内装が施された俗悪な場を、笑顔をもってお堪え下さったのは、日嗣の御子と御妃が備えられている聖徳だったのだろうか。かつて仁徳天皇が国見(くにみ)をされて、いっそう質素な日々を過ごされたという故事を思って、わが国の惨状に涙した。
皇室は日本国民にとって鑑(かがみ)であるとともに、国民の姿を映しだす鏡である。私たちが麗しい国を破壊しているが、両殿下を御批判申し上げる資格がいったいあるものなのかと思う。(2008・6)
自虐癖がねえ。ダメなもんはダメ、でいいじゃん。。。。(^o^)
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Last updated
Jun 5, 2008 11:11:51 AM
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