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私は、大けがをしてしまった障害者です。事故直後にはドクターヘリで遠くの大学病院へ運んでいただき、怪我の割には現在かなり回復しています。
病院、医師、看護士のおかげです。感謝して生活しています。 だから、あの市長さんの発言はゆるせない。 先日も障害者団体などから批判を浴びた鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が21日、福岡市内での講演でこの話題に触れ、「木の枝の先が腐れば切り落とす。講演後の記者会見で竹原市長は「『腐った木』とは障害者を指したのか」と聞かれ、「違う」と否定。「どういう意味だったのか」と繰り返し質問を受けたが、回答を拒んだ。自身のブログに「高度医療のおかげで機能障害を持ったのを生き残らせている」と記述し、そうしないといけない」「表現として厳しいが刈り込む作業をしないと全体が死ぬ」などと発言した。社会は木を育てるようにしないといけない。木の枝の先くされば切り落とす。全体として活力のある状態にしないといけない。『社会』というからには、「人間社会のたとえばなし」 以外には考えられないのですがね?どうおもわれますか? 講演では障害者に関する記述について「差別と言われるが、ああいう視点は私にはわからない」と批判を無視。自らの死生観に触れ、「みなさんもいずれ死ぬ。植物を考えればわかる。葉っぱや花が散って土壌になる。私たちは葉っぱ、枝」などと表現。その上で「社会は木を育てるようにしないといけない。木の枝の先が腐れば切り落とす。全体として活力のある状態にする」などと語った。 障害のある子どもの世話の大変さにも触れながら、刈り込む作業をしないと全体が死ぬ。壊死(えし)した足は切り取らないと。情緒で社会をつくることはできない」とも言ったようなんです。 「この間の障害者の件で、差別と言われるが、ああいう視点は私にはわからない。命は一つだと思っている。人間も動物も地球も。そういう感覚がある。なんでああいう言い方するのか。考えていくと、みなさんは生と死をわけている。今までたくさんの人が生まれて死んだおかげでみなさんがいる。みなさんもいずれ死ぬ。死と生が一体」 それじゃー、病気や事故で重体になったら医師は助けないほうがよいというのか?この市長さん(50歳)も将来、高齢になってさまざまな症状をともなうことになっても病院には行かずに死をえらんでほしい。そんな選択をするわけはあるまい?。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年12月22日 18時27分02秒
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