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テーマ:心のままに独り言(8837)
カテゴリ:行って来ました
まだ初詣に行っていないということで、お参りがてら
名所見物をしようと安居神社に行って来ました。 本来なら前回の城倶楽部(大人買い先輩が命名)の 活動で、大坂城に行ったときに真田幸村に縁のある ところも行こうと思っていたのですが、さすがに 三光神社や安居神社は遠いということで却下した次第 だったのですが、そのまま放置しておくにはもったい ないということで1人で行くことに…、しくしく。 まぁ逆に1人だからこそ、マイペースに行けるという こともあり、天王寺にある安居神社から玉造にある 三光神社までてくてくと歩いて行こうという計画で 行って来ました。 地味に僕は方向オンチなのですが、最近の電化製品は 便利なもので、僕の携帯にグーグルマップが搭載されて いるのを知ってからはこれに頼りっぱなしで、今回も このマップだけを頼りに行くことに。 まずは安居神社ということで、JR環状線で天王寺まで 行ってからそこから目的地設定して方角を間違えながら 歩いていくこと15分くらいで無事に到着したわけなの ですが、着いてびっくりしたのが目的地設定したのが 安居神社だけだったので周りに何があるのかさっぱり わからないだけに、えらい人が歩いているから人気の スポットかと思いきや、神社は一心寺の真ん前にあり ました。 ちょうどこの一心寺に面したところは境内の裏手になり、 ここから中にさくっと入っていったのですが、一心寺の 混雑ぶりとは一転して片手で数えるくらいの参拝客しか おらず、また神社もそんなに広くもなくで本当に戦国 時代ブームかな?と思ったりしました。 ちょうど裏手から入ると奥に本殿が見えたのですが、その 右手前に人だかりが出来てたので何かと思って見に行くと、 真田幸村戦死跡之碑と銅像があり、さっそく拝んで銅像に 触ったりしていると、僕がそこから立ち退くと後には1人 で来ている女性が2組もいたので、やっぱり戦国時代ブーム かなと。 声をかけようかどうしようかと思ったりしたのですが、実の ところこの石碑や銅像はちょっと石段の上に建立されていた のですが、その石段を上るときに足を踏み外してこけそうに なってしまった恥ずかしさから声をかけ損ねてしまったの ですが…。 それから本殿のほうをお参りし、境内をうろうろと歩いて 観察したのですが、一心寺側からは平地だと思っていたの ですが、鳥居のある入り口は階段が続く高台になっていた ので、さすがは戦国時代の武将が戦いに選んだ土地だなぁ と感心しました。 思った以上に安居神社が近く、そんなに大きな境内では なかったためあっさり見ることが出来たので、そこから もう1つの目的地である三光神社に歩いていくことに。 電車で行けばあっさりと玉造まで到着するのでしょうが、 せっかく天気もいいし時間もあることだし、何より大阪の 陣で大阪城からここまで出てきて戦った当時の人たちに 思いを馳せるべくどれくらいの距離があるのかなぁと ひたすら歩いていくと、1時間ちょっとで到着しました。 三光神社に到着する前に真田山小学校があったのですが、 そこはもともと大阪冬の陣で真田幸村が通称真田丸という 砦を作って戦ったところらしく、当時の名残はないもの かと1周しようとすると、面白いことにここも安居神社 と同じかなり高さのある高台の上にあって、ここを天然 の要衝として戦ったのかなと感じました。 残念ながらよくある跡地の石碑はどこにもなかったの ですが、校舎も校庭も見上げるくらいのところにあって 中の様子はさっぱりわからなかったので、思わず攻め手 側の心境になることが出来ました。 高台にある真田小学校の下地になっている石壁沿いに 歩いていると三光神社の入り口が見え、階段を上って 境内に入ろうとすると、ここの入り口も裏手のほうに なっていたのですが、ちょうど境内に上がるまでの途中 の広場に真田幸村の像と、真田の抜け穴跡と言われる 大阪城から通じていると言われていた抜け穴跡があり ました。 この像と抜け穴は並んであったのですが、ここでも びっくりしたのが、そのまま左手のほうに抜けて行き ますと公園のような広場になっているのですが、そこ が真田山小学校の敷地と同じ高さになって続いている 広大なスペースがあったところです。 そんなに起伏に富んでいるように見えない地形なだけ に、先ほど真田山小学校の回りを歩いたときにはここ だけ一段と高いところにあるんだなぁと思ったのです が、まさかここまでの広さがあるとはさすがにここで 徳川軍を迎え撃っただけあって、戦場にするには十分 な広さと辺りも見通しが良かったであろうところな だけに、ここに砦に作ったのも納得できる場所だった ことには感動してしまいました。 そこからちょっと石段を上って本殿にお参りをし、 5分ほど歩いたところにあるJR環状線の玉造から 帰ったわけなのですが、神社は残念なことにどちら もそんなに参拝する人がおらず、ぶっちゃけさびれて いるというイメージがあるのですが、どちらも戦場と して捉えたときには山城が多かった戦国時代の武将が 好みそうな高台にある敵を迎え撃つには最適な場所 だと自分の目で見て納得出来ただけに、真田幸村と いう武将の戦上手さの一端を感じることが出来て とても面白かったです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.07.18 15:46:41
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