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テーマ:心のままに独り言(8840)
カテゴリ:ひとり言…
僕は毎朝、おけいはんの京橋駅にあるコンビニでタバコを
買っています。 以前にも日記に書きましたが、ず~っとそのキオスクで 買っていますと、僕が行きますと顔パスでタバコを出して くれる人がいまして、最近はその顔パス出来る人の数が 増えてきたりもしてるのですが、前の人が会計をやって いる後ろに並んでいても先にタバコを渡したりしてくれて テンポよく会計を済ますことが出来たりしてます。 朝のコンビニとなれば電車が来るごとにかなりの人が押し 寄せてくるために、当然僕が買うときなんかも長い列が 出来ていたりして、そうしたちょっとでも早く会計して もらえるのはうれしかったりするのですが、いくら駅構内 にあってもキオスクではなくコンビニなので買う人に よっては会計が終わってから財布を出すという人がいたり して、日によって詰まったりすることが多いです。 僕らのように毎日目的が決まっているものを買いに行く 者にとっては、そういうお客さんっぽい人の列は避けて いくところで、さらには時間短縮というかテンポよく会計 してもらうためにも、こちらとしてもお釣りなく終われる ように、いつも300円を用意して行ってます。 なので、僕の顔を知っているそこの店員さんは、僕の顔を 見るとレジを通さないで先に商品を渡してくれるため、 僕もちょっきり300円を横から渡すのですんなりと脱出 することが出来るのですが、そんな朝のやりとりをしていて 今日気付いたことがあります。 それは、いつものように商品を渡されて会計を済まそうと したら僕がお金を渡す前に300円ちょうどいただきますと、 もう僕がすでにお会計を終わらしたみたいに言われたのです。 いや、イントネーションによってはお支払の意味でのいただ きますと聞こえないこともないのですが、「ちょうど」と付く だけでどう聞いてももうお会計を支払えた後のいただきますに しか聞こえず、僕がちょうど出すものだと信用していただける のもうれしいのですが。 これってある意味、店員さんはいつも僕がちょっきり出すもの という認識が出来ていて、そんな期待を裏切るようなたまたま お釣りがいるときだったらどうしよう?と思ったりしてしまい ました。 まぁ、聞きようによってはどちらの意味も取れるので、あまり 深く考えなくてもいいのかもしれませんが、「ちょうど」が付く だけで微妙にニュアンスの変わる日本語って本当に奥深い面白い ものですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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