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カテゴリ:行って来ました
前回の金沢旅行のとき、たまたま竹田城へのバスツアーの
新聞広告を持って行ってまして、名乗らんさんと次回は 竹田城に行こうという話になったので、ツアーの予約状況 確認してましたら、これが思ったより一杯な状態。 そういや竹田城がここ最近ブームになっていて、すごく 混雑しているとニュースで見たのを思い出し、どうせ行く なら静かなときがいいと予定を変更することに。 せっかくならこの気候のときにしか行けないところという ことで、城好きフロア長に山城はいいと熱く語られたこと もあり、たまたま「女信長」を見たということもあり、浅井 三代の小谷城へ名乗らんさんと行ってきました。 8時に大阪駅で待ち合わせ新快速に飛び乗り、途中米原で 乗り換え長浜に9時40分過ぎに到着。 あえて長浜で途中下車せず、そのまま小谷城に最寄りの 河毛まで行っても良かったのですが、僕の旅のこだわりで あるB級グルメは長浜にしかなかったので、お店が開く 11時まで長浜城の縄張を見て回ったり豊国神社にお参り をし、時間調整しました。 ベンチがあったので豊国神社でまったりしてると、いつの 間にやら11時を過ぎていたのでお店へ行きますと、開店 間際だというのに混雑してまして、座席は確保出来ました がその人気ぶりにちょっと驚いてしまいました。 そのお店のB級グルメはイタリアン焼きそばとホワイト 餃子でして、焼きそばは少し抑えたソースとミートソース の味が絡まり濃厚で、餃子は肉の旨みがすごく凝縮されて いまして、とっても美味でした。 食事中、散策マップを見てますとお店のそばに羽柴秀勝公 のお墓がありましたので、そのお寺にお参りをし、いざ 小谷へ出発!と思いきや…。 僕もまさかそこまで調べてはいなかったのですが、なんと 長浜から敦賀行きへの電車は1時間に1本しかなかったの です。 しかも駅に着いたのが12時15分過ぎと、ちょうど電車 が数分前に発車したばかりで、次の電車は1時間後。 こう言っては失礼かもしれませんが、今までもいろいろと 電車でお城巡りをしてますと、散々時刻表には泣かされて きまして、それも地方だから仕方ないと半ば諦めて受け 入れざるを得なかったのですが、よもや長浜までもがそう だとはまさかの想定外。 ならばバスはどうかとバスの路線図を見たのですが、残念 ながら小谷城へ行くルートはなく、次の電車まで長浜に 戻ってきたら行こうとしていた、浅井家三代のお墓がある 徳勝寺へ行くことに。 僕はお寺の作法はあまり詳しくはありませんが、まさかの 事態を打開すべく小谷城へ無事に行けるよう声に出して お願いしていますと、言うの遅いわ!と名乗らんさんに 突っ込まれてしまいました。 とぼとぼとまた駅まで歩いて13時前、予定では小谷城に 行ったあとに姉川古戦場へ行くつもりでしたから、さすが にこのままだと時間がどんどん遅れる上に、河毛からバス というのもちゃんと時間が連絡しているか怪しいもので、 どないかせにゃいかんと作戦会議をしてると、観光マップ にレンタサイクルを発見。 長浜もですが河毛にもあるみたいなので、駅に着いたら これで行こうと提案したのですが、名乗らんさんは徳勝寺 への道中に僕がふとタクシーは高いからレンタカーでも あればなぁというのが頭に残っていたらしく、ネット検索 しますと駅の出口そばにあるみたいなので、これ以上の 時間のロスはもったないとレンタカーを借りることに。 当然ながら僕は朝の電車の時点ですでに飲んでましたから、 名乗らんさんの運転で仕切り直して出発! 借りたのは軽自動車でナビ付きでしたからこれで安心かと 思いきや、ここで名乗らんさんマジックであるトラブル 発生、なんとナビが行き先を受け付けないというミラクル が。 全くの無反応どころか、しまいにはデータが見つからない と表示され、どこまで嫌がるねんと思いつつ、あまりに ラチがいかないので車を変えてもらうと今度は無事セット 出来ました。 車で行くこと30分、無事に小谷山へと到着し、登山口の 麓にある小谷城戦国歴史資料館に車を停め、追手道経由 で本丸を目指しましたが…。 うきうきわくわく、喜び勇んで山道へと入ったのですが、 そこに待っていたのは予想を上回る過酷な急勾配と、階段 どころか舗装すらされていない砂利道に、なんでこんな ところにいるのか自問自答をしつつ、名乗らんさんがいな かったら間違いなく妥協して帰ってるくらい、山城を行く というより登山しているというほうがしっくりするくらい 大変なものでした。 山城なので、斜面上に各曲輪があるはずですから、点々と そうしたところに出くわせば、休憩がてらテンションが 上がって先に進めるのに、ひたすら山道を登るのみでして、 やっとの思いで金吾丸にたどり着いたときにはもう息も 絶え絶え。 木々が鬱蒼と生い茂って先はまったく見えず、本丸はどこ かと憂鬱な気分で一杯になりながらも先を進むと、金吾丸 からは小谷城曲輪群に入ったらしく、それほど勾配もなく 各跡を見て回りました。 ようやく本丸のそばまで来たかと思いきや、名乗らんさん に分かれ道で先にこっちから行くと下るほうの行き先を 言われたのは赤尾屋敷跡。 なんでそっちへ行くのか聞きますと、浅井長政が自刃した のが赤尾屋敷とのことで、それならぜひお参りしなければ と、無事に小谷城に着けたことを感謝しながらお祈りした のは言うまでもありません。 それから桜馬場から琵琶湖畔の雄大な景色を眺め、黒金門 を通って本丸、中丸、京極丸、山王丸と順々に小谷城を 踏破していきました。 山王丸へと着いたとき当初の予定では、六坊から清水谷を 下って戻ろうとしていたのですが、山王丸へ歩いている 途中の標識に大嶽城跡なる文字を発見。 名乗らんさんはトイレに行きたーい!と訴えてたのですが、 金吾丸以降思ったほどアップダウンがなかったので次第に 体力が回復していた僕としては、そこに城跡があるのなら 行かなくては!と予定を変更して大嶽城跡まで行くことに しました。 しかし、その選択は歩き始めてから後悔することになった のですが、眼前にはどこまでもクレイジーな階段が延々と 続いていまして、その先に希望があることを信じつつ黙々 と歩き続けました。 お互い会話もなくなり歩き続けた末、ようやく大嶽城跡に たどり着いたのですが、そこは何と山頂でして期せずして 小谷山を登頂してしまいました。 それからまた六坊へと戻り下山したのですが、麓に着いた ときに驚いたのが徳昌寺でして、地図にはこの漢字での 表記だったので全然気付かなかったのですが、説明書きの された碑にはあの浅井三代のお墓があった徳勝寺と同じで あり、ちゃんと最初から最後までちゃんと見守ってくれて いたのだと思わず運命を感じてしまいました。 その後、姉川古戦場へと行き長浜まで戻り、長浜名物の のっぺいうどんを食べて帰路に着きました。 今回、初の山城へ行ったのですが、まさかここまでキツイ ものだと思わず、お城に行ったというより山を登りきった という達成感のほうが充実していた気がします。 名乗らんさんが一緒だったから良かったものの、いつもの 一人旅なら間違いなく途中で心折れて挫折していたことは 言うまでもなく、思った以上に長浜の街をこれでもかと 満喫出来たので満足なのですが、山登りの反動で筋肉痛が いつ来るかビクビクしながら次の予定を考えたいと思い ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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