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15年以上前の話ですが
父方の祖父がまだ健在だったころ 毎年、お盆には親戚集まって 焼肉を食べに行っていた。もちろん 太っ腹じいちゃんのゴチw ある年、そのとききたイトコが すごい熱を出していた 母がびっくりして 「こんなに熱あるのに無理させちゃダメよ」と おばさん(その子の母親)に言うと おばさんは 『いいのよ お肉なんか滅多に食べれないんだし それに 数日まえ、友達とお祭りに行く元気あったんだから お肉食べれば、熱なんて下がるわよ』 と でも母は 異変は高熱だけではないことに気が付いた 身体のあちこちに紫斑(しはん:内出血ででる紫のアザ)・・・・・・・ 数日後 彼女は【再生不良性貧血】と診断された もっと早く そう 少なくても 発熱した時点で病院に行っていれば 「お祭りに行ったから、熱出した」 「そんなもんに 病院代なんてもったいない 肉食えば・・・・・」 なんて おばさんが言ってなきゃ 病院に行ったときに 「すでに手遅れです」なんて 言われなかったのでは?・・・・・・ と 今でも心が痛む チェッカーズが大好きで 小さい子にとても優しくて 頭がよくて 辛抱つよくて・・・・・・ そんないい子が モルヒネももう効かず 細面なあどけない顔は 痛みをこらえるあまり バレーボールのようにむくみ それでも 「痛い」という言葉はまったく 言わず 『お母さんごめんね こんな高い部屋(無菌室)にいたら お金かかるね ほんとうにごめんね』 『お母さん ちゃんと寝た? 食べた? ごめんね迷惑かけて・・・』 と そんなことばかり 口にしていた。 ・・・・・・・・・・・・ 当時まだ 中学生の彼女が なぜ そんな心配をする? 答えは簡単だ おばさんが常日頃 どれだけ彼女に『我慢』を強いてきたか 中学の入学式 彼女一人が 「おさがり」の制服だった 彼女はそれがとても切なかった 本当に貧乏なら 私も納得いく おじさんは 中学校の教師 おばさんは 某家流のいけ花教室の先生 おじさんの出世のための「付け届け」と 自分の着物、フォーマルドレスのために 娘には 「おさがり」の制服だ 入院してから数ヶ月で 彼女はこの世を去った 棺おけには 旅装束を着たうえに 真新しい 制服が被せられた ・・・・・・意味ないじゃん なぜ入学式のとき 新しい制服を買ってあげられなかったんだろう 死んでから 棺おけに入れたって そんなのは おばさんの【自己満足】にしか思えなかった ------------------------------ このおばさんに対して 良い思いでなんて ひとつもない ばあちゃん(おばさんの母親)が死んだときも 「気持ち悪い」と言って 骨のひとつも拾わなかった 『おばさん なにやってんの?』と聞いたら 「娘を先に亡くした親の気持がわかるの? あんな経験したら 骨、拾えないわよ アンタにわかるわけないじゃない」 と言われた (殺したの アンタじゃん) 私の母の病気が とてつもなく悪化したのも このおばさんが 【忙しい】を理由に ばあちゃん、じいちゃんの世話をまったくしなかった すべて、全身リウマチに侵されている 母におしつけた要因が大きい 4年と10ヶ月前 母が倒れた。 もってあと「2~3日」と言われた が 本当に良いドクターに恵まれ 今は自宅で生活できるまで回復した もし あのとき母が死んでいたら 私はおばさんを殺していたかもしれない。 おばさんのせいで 天真爛漫だった母が 鬱になり おばさんが作ったまったくの作り話が 田舎じゅう広がり 両親は20年以上住んでいた場所を 追い出され それなのに 祖父母を最期まで世話させ・・・・・・ しまいには じいちゃんが何度目かの危篤状態になったとき 電話で母に 『お花のほうが忙しいから とーちゃん(おじいちゃんのこと)が もし死んでも 葬式いけないから!』 と ありえない・・・・・・ 売れっ子でもないのに 実の父親の最期より 『いけ花』を取り 看病疲れもピークになってた母に 精神的なトドメを刺してくれた。 ----------------------- そのおばさんが 他界した 去年、癌がみつかり あちこち転移して いろいろ治療していたらしいが 26日 この世を去った 今、仮通夜してるらしい 29日 通夜 30日 告別式 だそうだ 骨を拾う そのとき 私はいったい どんなことを 考えているんだろうか お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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