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*今日の1日1麗*
パッとしない時ほど、身だしなみはちゃんとしようって心がけた。・・・Make Upて言うくらいだしネ。UP!UP!使える手助けは使ってUP! ・・・・・・・・・ わたしは、死、についてかわいそう、という感情は無いです。 というのは、 死後の世界・・・というか、魂だけの世界はハッピーしかないにもかかわらず、 あえて修行しに、「愛」とか「感謝」を学ぶために、その人専用のプログラムを組んで生まれてきてる、という考えなので、 かわいそう、というより、お疲れ様、という感情のほうが大きいのです。 それと、死ぬことで、残された者が何かを学んで、それが残された者の成長に役立つ場合にも・・・ 1・宿題が終わった 2・これで何かを学ばせたい という2つの条件が揃った時、何か解らない力によって人は修行を終えれるんだな、・・・とわたしは思います。 なので、「ありがとう、お疲れ様でした。」なのです。 と、いうのも。 やよんぬから見るととってもいいおじいちゃんなのですが、(今も変わらず思っていますが) 最後の方は、周りのひと(実際世話をしていたうちの母や母の兄弟達)はかなり大変だったらしく、 痴呆が進んでくると、執着心、だけが残るそうで しかもそれが、おじいちゃんの場合は「お金」だったそうで、 現実が理解できないのに行動力はあるので、精神的に、だいぶ参った・・・みたいな話は断片的に聞いていたのですが。 さらに痴呆が進んで、いよいよ自分の子供も誰か解らない、食べ物か何かも解らない、みたいになってしまって、施設に入ることになり。 そしてある日、母が、頂き物のおまんじゅうかなんかを差し入れにもって行った時、 「どなたかわかりませんが、こんな事までして頂いて、有難い」 と、涙ぐみながら深々と頭を下げたそうです。 母はその時、今まで一瞬でも疎ましく思ったことを詫び、そして今までのこと(育ててくれたことや色々)を想い、涙が出たそうです。 他にも、車椅子に乗せて同じ施設内の妻=おばあちゃん(寝たきり)に会いに連れて行ったとき。 自分の妻ということだけは不思議に解ったようで、お互いウンウンとうなずいて涙ぐんでいたそうです。 「なんで泣くん?」 「そりゃ二人にしか解らんけど、お互い年を取って、みじめな姿になっても生きてるんだよ?哀しいけど、嬉しい、て感じじゃないのん?」 ・・・・。 わたしも、そんな状況になる時来るんやろうか? 愛する人が老いて、寝たきり。 自分には、どうすることも出来ない。 なぜなら自分も、老いてるから。 えーーーー!? 想像つかない・・・・。 考えられない・・・・。 お坊さんは言ってました 「人は、100%落ちると解っている飛行機に乗ってるみたいなもんです。 生、老、病、死、自分だけは違う、ということはありません。 また、明日が必ずある、とも限りません。 寿命は、ひとりひとり違います。 年のいった者が先、ということもないのです。 かといって、恐れろという話ではありません。 大事なのは、今をどう生きるか、です。」 始まりと終わり。 「有難う」といえるようになり、おじいちゃんは終えた。 ちょうどその日、わたしは自分の夢に向かって、新しい試みを始めたとこなのだ。 偶然か必然か、49日の日はいとこの結婚式でもある。 老いてからのことは、老いてからじゃないと解らないし 理解すべきときが来たら勝手に解るんだろうな。 今考えることじゃない。 それより、わたしが努力することが、おじいちゃんが修行を終 える条件のひとつだったとしたら・・・? 必ず、達成してみせるから、見守っていてくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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