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カテゴリ:母と私
緑ヶ丘公園に桜が・・・ 母の思い出話はこの言葉から始まります。 「死んだほうが、なんぼ楽かと思ったことも・・・」 戦争中、今から63年前に見込まれて 「この娘ならあの家に務まる」と周りのお世話で嫁いだ母 母を入れると13人の大所帯、お姑さんのきつい言葉 「好きでもらった嫁じゃない」に傷付いていました。 ある時、母は父にこう頼んだそうです。 「お願いだから、家を出て行けと言って欲しい・・・」と その言葉を言ってくれれば私は実家に帰ることができると、 父は「俺をおいて行くなら、俺もこの家を出て、放蕩になる」 「俺を想うなら、黙って居てくれ・・・」と言われ 母は、家にとどまったそうです。 父は9人兄弟の長男として一家の働き頭で家計を支え 自分の妻だけを守るのではなく、親兄弟までもが父の肩に・・ 母はその父の切なる願いに心を打たれ いろんな苦労も耐えることができたと 「そのお陰で今は最高の幸せだ」と語る母の人生 今の私には、想像がつかないほどの厳しい環境であった ことでしょう。 そして、今年は父の33回忌をむかえます。 間もなく、満開の桜が咲くでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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