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カテゴリ:気づき
数日前、お風呂に入っている時のこと、ふと、浮かんだ言葉 ”不安の言葉を発する責任” そう言えば少し前に私はその不安の言葉を聞き、 不快になったことを思い出しました。 それは、「○○という話を聞いたけど大丈夫かなぁ~、 事実かどうか、分からないけど心配だから、 あなたに電話をしたの」と友から でも、その時の私は、「ありがとう、調べてみるね。」と 返事をしながら、心のどこかで不満を感じているのです。 何故、私が不満に感じるのか・・考えてみました。 私は、嬉しいこと、楽しいこと、喜びのことは、 大歓迎ですが、逆に不安、恐れなどに対しての苦手意識が あり、そこに反応している自分がいたと感じました。 そのことに直面した時にすぐには、自分の心が見えず、 不安の言葉を発する人に対して 誰かから聞いた話を不明瞭のまま伝えるのではなく、 聞いたことが事実か、否か内容を自分で確認出来るものは、 確認した上で伝達して欲しい・・と、 ”不安の丸投げはして欲しくない”と感じている私がいました。 でも、相手ではなく、私の中に答があると気付いたのです。 プラスがあればマイナスもあり、相対があってこそ 成り立っている世界。 それを片方だけは、好きで、もう片方は嫌いと思った私 マイナスのことにも自分が呑み込まれないで立つこと。 不安の波にも揺れないこと。 その学びであったと、数日たって気付きました。 私に再度確認の機会を与えてくれた友に心より感謝しました。 そして、 ”不安の言葉を発する責任” を私自身がしっかりと 自覚することであったことも気付きました。 今まで私自身が気付かずに発していたであろうと感じたのでした。 許されて生かされていることに、心より感謝いたします。 5月14日のお日様 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年08月03日 23時02分23秒
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