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カテゴリ:郷土の歴史
今日から5月に入りましたね! 桜前線も北海道に上陸したようです。 そうでした!おあずけになっていた 苫小牧の古い神社のうちのもうひとつを紹介します。 勇払が、江戸幕府直轄地になった寛政12年(1800年)の以前 ”弁天社”について記されている最古の資料である 「東蝦夷道中日記」寛政3年(1791年)にも記載が、あります。 この絵図は、幕府直轄時の弁天社です。 ◎地元の歴史家の扇谷さんの説によると 元文2年(1737年)八代将軍吉宗の時代に創始された 場所請負人、又は、場所支配人や商人たちが、 未開の蝦夷地に来て、航海の安全や豊漁、商売繁盛を祈願し あるいは、天災地変が起こらないように 弁財天を祀ったとおもわれる。 弁天社 ・・・明治5年まで勇払会所元にあり ↓ 蛭子神社 ・・・明治7年6月祭神を「事代主神」とし村社に ↓ 国家神道の宗教支配で強制的に組み込まれる この時 川西に移る 恵比寿神社 ・・・昭和27年に改名 昭和31年に現在の地に社殿を移転 ◎恵比寿神社の片石昌伸宮司によると祭神は 市杵島姫・事代主神・竜神(八大龍王)の三柱 やはり、水・海・龍に関わりのある祭神が祀られています。 3月末の沖縄、宮古沖の八重干瀬に参加した地元の3人で 4月2日に勇払恵比寿神社に初めて参拝した時のことです。 鳥居の前に ご挨拶のために立つと 珍しく 私は咳き込みました! 何かを感じながら鳥居をくぐり、奥へ進むと 参道とは直角に本殿があり、 「地元に住みながら 初めてご挨拶に参りました。」と お伝えすると とても風が強く、しめ縄の先が、頭に当たります。 ”お水をほしい”と言われているようで 手持ちすべてのお水を奉納させていただきました。 仲間3人でのお参りした後の感想は、 ”参拝に来るのを ずっ~と待っていた!”と言われた感じで 子供がお母さんの帰りを待ちくたびれて 少し、駄々をこねているように感じたのでした。 結局は、喜んでいただけたね~♪と 鳥居の所で帰りのごあいさつをし 車に乗り込むと 車の真上を”鷹”が低空で飛んでいってくれました。 神様のお使いの”鷹”が、喜びを伝えに来てくれたようです! 嬉しいですね~~♪ このほかにも江戸時代の勇払会所のそばには、 竜神社・稲荷社・大黒社などいくつかのお社があり その中の”竜神社”は、現在 千歳神社に納められているようです。 昔、勇払会所の担当の領域は、白老・千歳・日高門別と 相当に広範囲であり、明治政府の宗教統制により 弁天社・稲荷社・大黒社など 今は勇払恵比寿神社の中に まとめられているようです。 お社を守るために、氏子の皆さんのご苦労があった様子が うかがわれます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月02日 00時34分42秒
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