スピリチュアル感性を磨く為に必要な事 part 7
昨日の続きといいますか…もう少し掘り下げてこちらに記す事にしますねえとですね。こちらを読む前に、読まれていない方、または、忘れちゃったわという方。ご面倒ですが、この前の日記占い師になるまでの半生記録 part 2前編占い師になるまでの半生記録 part 2後編スピリチュアル感性を磨く為に必要な事 part 6をお読みいただけると、理解が深まると思いますのでよろしくお願いいたします。(さりげなく、読めと強要)さてですね。ここで、昨日の『感性磨くのpart 6』で用いた『布』の概念と、『半生記録』をリンクさせる事にします。えとですね。まず、私は『左利きという特徴をもった糸』として生まれ。『左利きを治す為に躍起になる母の糸』と交差してました。その交差から、私は“母の前だけで、右手を使えばいいわ”という『色』を付けました。しかし、その思いは『母の糸の色』とは合わなかったワケです。そして、今度は“幼稚園”という『小社会の糸』が、交差します。その『小社会の糸』は、私の特徴を萎縮させる『色』でした。無論、このころの人間関係は最悪です。『左利きの特徴を持っている糸』だっただけで、“落ち着きのない子”などの『色』を付けられたのですから。私は、ここで『つけられた色』に抵抗しました。おかげで、小学校~高校の間は、暗黒時代。『小社会の布』の中で、私は他の布とは、全く調和しない『糸』として機能していました。成長し、様々な人間関係を経験していくうち、長く伸びた私の『そぐわない糸』は、いつしか日に当たり、褪せていったようです。そして、他の『布』と、ようやく調和しようというとき、全く関係なく、ふと交わった『糸』から、あの頃の真実を教えてもらえました。(これを、シンクロニシティといわずして、何という?)もし、私が『その思い出』を無理に封印し、断ち切ろうとしたり、飽くまで周囲に抵抗しようと、捻じ曲がったり、その思い出のつらさに、『糸』であることを否定(つまり、自殺ですね)していれば、今の『社会という布の中の“私色”の糸』は、あったでしょうか?最後に、自己分析して、自分を誉めるところがあるとすれば『強靭なピアノ線バリの強度があったから』あの中で、一本の糸でいられたんだなぁ。と思います。この回のひとことは、少しシンクロニシティ色ですが多くの人が、『日』にあたり、褪せたようなアースカラーや、パステルカラーを好むのは、光の優しさを無意識に感じているからなんだなぁ。と思います。それほど、光は偉大なものなのだと思うのです。(あ~~~~~! ちょっと宗教色???)