はじめの一歩(パッシブ・サイド+α)?
(前回に続き)一方、条件に押し迫られた結果、しゃーなしで動かざるをえなくなる、というのもまた一歩。足どりが重い、というのはパッシブ・サイドの典型。地面を踏みしめて、蹴らなくては進まない状態です。後ろ髪引かれるのもそうですが、心は先を行きません。重い心を引きずって動いているのですね。特に月曜の朝、そんな人をよく見かけます。時代柄なのか、本当によく見かけます。告白すると、私も時々陥ります。同じ一歩でもアクチブとは比べものにならない疲労度。同じ仕事をしていても、疲労度に違いが生じるのは、単純に体力だけの問題ではないのです。そして、(治療家としてはここが問題なのですが)心と身体のベクトルがあっていないと、けがをしやすくなったり、積み重ねることで自律神経の失調、ひいては大病へと陥ってゆく。ベクトルがあっていませんから、心身とも路頭に迷ってしまうのですね。ちなみに。足が震える、というのは葛藤の現われ。想い起こせば、愛の告白に出向くときなどは不安と想いの狭間で震えたものです。ついでに声まで震えたりして。あぁ、青春やね。アル中の禁断症状も、条件あるいは自制心と欲求の狭間に震えているのかもしれません。ついでに。心が先に行くものの、身体がついてこない、というのはお年寄りによく見られる現象です。お年寄りでなくても、疲労の蓄積で起こります。別の意味で足が震えたり(痙攣)。そして、お年寄りの場合、最期は肉体という束縛を断ち切り、心のみ「逝く」わけですね。しかし、この場合、はじめの一歩ではなく最期の一歩・・・いやいや、別次元への旅立ちとしては、やはりはじめの一歩でしょう。きっと。