病気について。
(前回の日記「カメムシ。」に続く)過剰な恐れは敵意に変わり、反撃を招き、不毛な争いにつながる。多くの病気についても同じことが言えます。皆さんが大好きな癌。癌に対しても、敵意むき出しで抗癌剤や放射線、あるいは手術をするのが現在の主流。しかし、それらの処置で一時的に癌は弱まるものの、後から更なる猛威を振るう、というケースが非常に多い。果たして癌は敵か。否、癌もまた自身の一部なのですよね(あまつさえ、現代医学では癌を「悪性新生物」などと分類している)。はやりのインフルエンザにおきましても、熱を出しているのはウィルスではなく、自らの身体。必要があって放散している熱を無理矢理抑えたらどうなるか。押して知るべし、です。薬を服用して、(表面的に)熱は下がったけど、他の部分に痛みが出た、と訴えて来院される方は少なくありません。押さえ込んで、身体にこもった熱が脳に集中すれば、脳症となり、死につながることもあるでしょう。さらに、身近な肩こり。強く攻撃的に揉んだならば、一時的に楽になるものの、更なる硬さをもって復活してくるんですね。そうして、更に強い刺激を求めて無限回廊をさまよう亡(盲?)者のような方もたくさんいらっしゃいます。巷に溢れる心無き癒し(卑し)ビジネスにはいいカモと言えるでしょう。これまた最近はやりの麻薬中毒と本質的にさして変わらないのでは?やはり。過剰な恐れはどうか、と想います。そして、それを助長する医療、メディアもどうかと。病気の多く(あるいは全てなのかもしれない)は、目を背けてきた自分自身の表れ。自らの影に脅えるのはもう止めにしませんか?受け入れて、よくよく観れば、自らの内に解決の鍵は眠っている。そう想いますね。